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         日本の花の中を歩く
   
 
 
 日本最初の公園 ”上野恩賜公園”
上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、東京都台東区にある公園です。一般には通称の上野公園で知られています。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、「上野の山」とも呼ばれています。(ウィキペディアより)
 
上野恩賜公園

 上野恩賜公園は1873年(明治6年)に日本で最初に指定された公園です。都内だけでなく、日本でも有数の都市公園であり、歴史・文化的な施設が多数存在し、文化・芸術の集合地域となっています。(ウィキペディアより)


 
 
 

 1,200本の桜が咲き誇る ”上野公園” 
 
 上野公園の桜は、江戸時代、寛永寺の建立後に天海僧正が境内に多くのサクラの木を植えたことが始まりとのことです。総面積約53万平方mの広々とした園内一帯には、ソメイヨシノを中心に、オオカンザクラ、ヤマザクラなど約1200本のサクラが一斉に咲き誇る。また、1300本のぼんぼりにライトアップされた美しい夜桜も見物できます。毎年3月下旬〜4月上旬に行われる「上野桜まつり」の期間中は、1日約30万人がお花見に訪れ、にぎわいを見せます。(ウィキペディアより)
上野(恩賜)公園のいわれ

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 上野公園は、大正十三年を昭和天皇の婚儀の慶事記念として東京府に払い下げられました。これが恩賜公園の云われとなっています。

○開園年月日 : 明治6年10月19日
○開園面積   : 535,201.18m2
○樹木数    : 高木:8,800本、
            低木:24,800m2

 
 

 上野公園と不忍池
 
 
上野公園生みの親
 上野公園の誕生は、1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードウィンが、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定されました。このことにより、ボードウィンは、上野公園生みの親と称されています。(ウィキペディアより)
 
 

 不忍池・弁天堂を歩く
 
 寛永寺を創建した天海僧正は不忍池を琵琶湖に見立てていたのだそうです。そして竹生島に相当するものとして作られたのが、ここ中之島(弁天島)です。
弁天堂は昭和20年(1945)の空襲で焼失して昭和33年に再建されています。
 
 
 
 
 
 上野公園 案内
 
上野恩賜公園は、広大な敷地と豊かな自然を擁していたため、明治6年の太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に、日本で初めて公園に指定されました。そしてそれまでの日本にはなかった近代的な公園にしたという歴史的な場所となっています。
 
 
 
 








 
 
 
 
 
後 記
 
 上野公園のお花見は、いつも人ごみの中で行っている。人人人・・・・である。人とゴミであふれんばかりである(清掃されているので綺麗です)。ここの騒々しさと大混雑は、上野公園お花見の定番となっています。
 不忍池方面は比較的に人も少なく、多少はゆっくりとくつろげると思います。散歩しながらのお花見は不忍池をお薦めします。

 
 
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