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  ( 東 北 地 方 の 100名城 )
  
  
 
第1集  宮城県多賀市 「多賀城 (日本100名城7番)」 に登城する 
  


多賀城跡、政庁正殿跡を望む
  
  
  
 
 




   < 東北地方の100名城 >  弘前城4桜4(青森)   盛岡城6(岩手)    多賀城7(宮城)L多賀城廃寺(宮城)L    仙台城8(宮城)    久保田城9(秋田)L   山形城10(山形)   二本松城11(福島)   会津若松城:鶴ヶ城12(福島)   白河小峰城13(福島)
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【 目 次 】
 1.宮城県多賀市 「多賀城」に登城する
 2.多賀城 「南門跡・多賀城碑」にて

 3.多賀城 「政庁南大路跡(南門跡~政庁跡)」にて
 4.多賀城 「政庁跡(政庁復元模型)」にて
 5.多賀城 「政庁南門跡」にて
 6.多賀城 「政庁正殿跡・後殿跡・北殿跡」にて
 7.多賀城 「外郭東門跡」にて
 8.多賀城 「六月坂地区の役所跡」にて
 お気に入り写真
  1.宮城県多賀市 「多賀城」に登城する
 多賀城
 (たがじょう)


 日本100名城 7番目
 (宮城県) 
 〒985-0864
  宮城県多賀城市市川
 (撮影 2022.04.20)
 (作成 2022.05.23)

 多賀城(たがじょう/たかのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵です。国の特別史跡に指定され、指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」です。
 奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地でした。奈良平城京の律令政府が蝦夷を支配するため、軍事拠点として松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置しました。平時は陸奥国を治める国府(役所)として機能しました。

 多賀城の「城」としての記載は『日本三代実録』にある貞観津波の「忽至城下」が最後であり、翌貞観12年の同書には「修理府」、藤原佐世『古今集註孝経』の寛平6年(894)朱書「在陸奥多賀国府」ほかに「府」あるいは「多賀国府」と記載されています。
                  (ウィキペディアより)
(Size : 71,654KB) 多賀城跡、「政庁正殿跡」を望む 政庁東門跡前にあります、「政庁復元模型(縮尺1/200)」です
  





  2.多賀城 「南門跡・多賀城碑」にて



多賀城、「外郭南門跡」を望む。後方の建物の中には「多賀城碑」があります


外郭南門跡前にあります道標です 「多賀城碑」の説明板です。◆カーソルセットで拡大します
< 多賀城の創建について > 
 創建は神亀元年(724)、按察使大野東人が築城したとされ、8世紀初めから11世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われました。
 ・第1期は724年 - 762年
 ・第2期は762年 - 780年で天平宝字6年(762)藤原恵美朝狩が改修してから宝亀11年(780)伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで
 ・第3期は780年 - 869年で焼失の復興から貞観11年(869年)の大地震(貞観地震)による倒壊および溺死者千人ばかりを出した城下に及ぶ津波被災まで
 ・第4期は869年 - 11世紀半ばで地震及び津波被災からの復興から廃絶まで
に分けられます。      
(ウィキペディアより)




外郭南門跡より、「多賀城碑(壺の碑)」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます
「外郭南門跡」を望む 多賀城碑(壺の碑)にて 多賀城田屋場より、「玉川寺」を望む 多賀城田屋場より、多賀城跡あやめ園方面を望む
google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示) Google!地図より(■カーソルセットで写真表示)
◆クリックでGoogle Mapが表示されます



「多賀城碑(壺の碑)」のアップです。(下記の碑文はウィキペディアからのコピーです)
<碑文>
多賀城
 去京一千五百里
 去蝦夷國界一百廿里
 去常陸國界四百十二里
 去下野國界二百七十四里
 去靺鞨國界三千里
此城神龜元年歳次甲子按察使兼鎭守將
軍從四位上勳四等大野朝臣東人之所置
也天平寶字六年歳次壬寅參議東海東山
節度使從四位上仁部省卿兼按察使鎭守
將軍藤原惠美朝臣朝獦修造也
天平寶字六年十二月一日



「多賀城碑(壺の碑)」と多賀城碑説明板です



「多賀城碑(壺の碑)」の現地説明板です



多賀城碑(壺の碑)」を望む



googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
■ 画像クリックでgoogle Mapが表示します ■



多賀城田屋場より、多賀城跡あやめ園方面を望む



「多賀城跡 附 寺跡」の案内板です
 





  3.多賀城 「政庁南大路跡(南門跡~政庁跡)」にて



多賀城跡、復元「政庁南大路」入口(登り口)にて
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



多賀城跡、復元された「政庁南大路(せいちょうみなみおおじ)跡」にて
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



政庁南大路跡より、復元整備中の「城前地区(城前官衙(じょうまえかんが))」を望む(工事中のため見学は出来ませんでした)



「城前地区」にて



「政庁南大路跡」にて



多賀城創建1300年記念のため、復元工事が盛んに進めれています。
復元された政庁南大路より、左側の「城前地区の城前官衙(じょうまえかんが)の整備」、正面奥の「南門復元工事仮設小屋」を望むことができます





政庁南大路跡より、「外郭南門跡」方面を望む



「政庁南大路跡」にて
  4.多賀城 「政庁跡(政庁復元模型)」にて



多賀城跡にて、政庁南門跡近くの案内板です。後方が「政庁復元模型」です
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



政庁南門跡前の「政庁復元模型(縮尺1/200)」です



西側から眺めた「政庁復元模型(縮尺1/200)」のアップです。(◆カーソルセットで建物名が表示されます)



正面(東側)から眺めた「政庁復元模型(縮尺1/200)」のアップです。手前が南門、中心が正殿です



多賀城跡、「政庁跡」方面を望む



政庁南大路跡より、「政庁跡」方面を望む



政庁南門跡より、「政庁南大路跡」方面を望む
   





  5.多賀城 「政庁南門跡」にて



政庁跡にて、「政庁南門跡」を望む。後方は、「政庁正殿跡」です
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



政庁復元模型より、政庁正殿への正面入口「政庁南門」との位置関係が分かります。
写真は政庁復元模型写真に建物名を加筆しました



「政庁南門跡」の現地説明板です



政庁南門跡の左側になります「政庁西翼廊跡」です



政庁南門跡の左側になります「政庁東翼廊跡」です



政庁南門跡の左側の「政庁西翼廊跡」と土塁です



「政庁西脇殿跡」を望む



「政庁東殿跡」を望む



「政庁東殿跡」の現地説明板です



政庁正殿前にあります「石敷広場」です。後方は「政庁正殿跡」です。(◆カーソルセットで建物名が表示されます)
 、
  6.多賀城 「政庁正殿跡・後殿跡・北殿跡」にて(3)



「政庁正殿跡」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



「政庁正殿跡」を望む



「政庁正殿跡」の現地説明板です



「政庁正殿跡」を望む。政庁正殿跡前には「多賀城趾」碑が望めます



政庁正殿跡より、「政庁南門跡」方面を望む



政庁正殿跡より、東側方面「政庁東楼跡」を望む



政庁正殿跡より、後方の「政庁後殿跡」を望む



政庁東西「北殿跡」より、「政庁後殿跡・正殿跡」を望む。(◆カーソルセットで建物名が表示されます)



政庁東北殿跡より、東側の土塁を望む



政庁西北殿跡より、西側の土塁を望む



政庁北殿跡より、「政庁後殿跡」を望む



「政庁跡」後方にある「政庁跡」の道標です



「政庁跡」の説明文です



「政庁跡」最後方からの眺めです
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



「多賀城市役所 多賀城跡管理事務所」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます
 





  7.多賀城 「外郭東門跡」にて



金華山道にあります案内板です。左側120mに六月坂地区(役所跡)、右側220mで外郭東門跡です
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



平安時代に有った「北門跡」を望む。役所群の北側の出入口とのことです



平安時代に有った「北門跡」を望む。広い敷地(役所群)が広がっています



「北門跡」の現地説明板です



多賀城跡、平安時代の「外郭東門跡」を望む



「外郭東門跡」の現地説明板です



「外郭東門跡」の現地説明板のアップです。南北の櫓に守られていた「東門」が良くわかります



平安時代の「北櫓跡」の現地説明板です



多賀城跡、「外郭東門」の道標です
外郭東門跡近くにある「掘立柱式の建物跡」の説明板です 外郭東門跡の近くにある「掘立柱式の建物跡」です 平安時代にあった「北櫓跡」です 日本100名城7番目、多賀城跡の記念スタンプです
(多賀城跡管理事務所にありました)
     【 後  記 】

 多賀城跡には、歴史の古さと土地の広さに驚ろかされました。丘陵地帯の低地にある外郭南門跡から、丘の上の政庁跡、そしてはるかその奥にある外郭東門跡と、とても広さを感じさせる城でした。
 また、多賀城跡には歴史を感じさせるものとして、多賀城碑・政庁跡の楚石がありました。政庁東門跡前には、「政庁復元模型(縮尺1/200)」があり、楚石しか見えない広い政庁跡に当時の様子を想像できるようになっていました。彩色が施されていればもっとすごいと思いました。

 多賀城創建1300年を記念し、2024年(令和6年)の完成を目指し、政庁南面地区の復元・整備工事をしています。
 ●政庁南大路復元・・・写真のとおり、完成しています(2021年(令和3年)10月16日開通)
 ●南門復元工事
 ●城前官衙(じょうまえかんが)の整備
2024年の完成がとても楽しみです。
 また個人的には、広大な土地が広がる外郭東門の、「北櫓」ー「東門」ー「南櫓」当たりを復元し、平安時代の城も見てみたいと思いました。

 この多賀城跡を見学して仙台が東北の中心地になっているのもわかるような気がしました。東北の中心として奈良・平安時代からの流れがつながっていることをつくづく感じました。        
(2022.05.23)





多賀城跡、平安時代の「石敷道路」を望む



平安時代の「石敷道路」の現地説明板です



多賀城跡、「外郭東門」方面を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます
  8.多賀城 「六月坂地区の役所跡」にて



多賀城跡、「六月坂地区」にて



多賀城跡、「六月坂地区の役所跡」を望む



「六月坂地区の役所跡」の道標(説明文)です



「六月坂地区の役所跡」の現地案内板です



六月坂地区の役所跡にて、平安時代の「倉庫跡」を望む



六月坂地区の役所跡、「多賀神社」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



六月坂地区の役所跡にて、平安時代の「掘立柱建物跡」を望む






  お気に入り写真



多賀城跡「政庁南門跡」近くにあります。「多賀城総研300年記念」案内です



「政庁復元模型(縮尺1/200)」の背面(後方)から見た所です。手前が「政庁北殿」になります



多賀城跡、「多賀城碑(壺の碑)」のアップです
v


政庁正殿前にあります「多賀城跡」碑です



多賀城跡「外郭東門跡」にて、左側が東門跡、右側が北門跡になります





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