Top
  Home Back 
     日本の城に登る・城を歩く
(撮影:2009年03月29日)
 

   < 日本100名城( 関東の城 ) > 14水戸城(茨木)   15鑁阿寺(足利氏宅跡)(栃木)L   16箕輪城(群馬)   17新田金山城(群馬)L   18鉢形城(埼玉)L   
19川越城(埼玉)   20佐倉城(千葉)  21江戸城:外堀 ・ 21江戸城:東御苑(東京)  22八王子城(東京)   23小田原城(神奈川)  
 < Next 21江戸城:東御苑(東京) > 
 
 
 
No.1  江戸城      (東京都:千代田区)
 

 江戸城(現在の皇居東御苑)は、徳川将軍家、十五代のの居城であり、江戸幕府の最高政庁でありました。明治維新を期に皇室が京都御所から江戸城に転居し、それ以降宮城・皇居となり現在に至ってます。総構え全体の面積は世界最大の城郭であります。(ウィキペディアより)

  
 

 
No.2  大手門(渡櫓 → 大手高麗門)    
 
  
  
 
  大手門の入口           大手門の入口全景
 大手門渡櫓  旧大手門の鯱  大手門全景@ 東京タワーを望む  大手門全景A
 
 

 
No.3  桜田巽櫓〜内桜田門 
 
 桜田巽櫓は、江戸城(皇居)を取り囲んでいる外堀の中で毅然とその美しさを放っている場所で有ます。
問屋門と桜雲橋 拡大   
 
桜田巽櫓アップ@ 桜田巽櫓アップA 内桜田門(桔梗門)


 桜田巽櫓 内桜田門(桔梗門)全景  内桜田門(桔梗門)正面


 
No.4  坂下門〜皇居正門(二重橋と伏見櫓)
 

 二重橋(にじゅうばし)とは、皇居正門から宮殿へと向かう二重橋濠に架かっている正門鉄橋(橋)のことであります。奥の鉄橋は、木造橋時代に、技術的な問題から橋の下に足場のための橋が架けられている二段構造になっていたとのこと、そこから、「二重橋」と呼ばれるようになったとのことです。また、正門には皇宮警察の皇宮護衛官の儀仗隊がおり、さらに奥の鉄橋にも皇宮護衛官が常駐しているとのことです(ウィキペディアより)

  
  
 

 坂下門は宮内庁の通用門として使われているようです。水戸浪士による坂下門外の変の場所でもあります。
坂下門正面  坂下門全景  拡大     
 
 
 皇居正門  正門横のガイド柵   皇宮警察の皇宮護衛官  拡大  


 
No.5  桜田門(櫓門)〜半蔵門  
 
 

 
桜田門@      桜田門A 桜田門B 桜田門全景@
 桜田門全景A         半蔵門全景   半蔵門正面   半蔵門@
 
 
 


 
No.6  平川門 
 
 


 平川門  平川門



 
No.7  ”江戸城” の案内図  

 江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にある城です。別名は千代田城(ちよだじょう)です。江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、後の江戸本丸・二の丸辺りの台地上に居館を置いていたとのことです。江戸氏が15世紀の関東の騒乱で没落すると、1457年に扇谷上杉氏の家臣である太田道灌が江戸城を築城しました(ウィキペディアより)

    
Yahoo地図より             Yahoo地図より   
 
 
 
 江戸城(えどじょう)は、1457年に太田道灌が築城しました。道灌の江戸城はやがて後北条氏の支配下に入り、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に開城しました。徳川家康は秀吉から後北条氏旧領の関東六州(武蔵・相模・伊豆・上野・下総・上総)を与えられ、駿府(静岡)から転居し、天正18年8月1日(1590年8月30日)に公式に入城し、居城としました。(ウィキペディアより)
 
 江戸城は平成18年(2006年)4月、日本100名城(21番)に選定されています。通常、皇居部分(西の丸と吹上庭園)に立ち入ることは出来ませんが、旧江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に開放しています。ここは入園は無料です。東京の真ん中が、どのくらい素晴らしいか、実感できます。



Topへ

  Back
Copyright (c)  e-aruki Inc. All Rights Reserved. 無断転載禁  (by Xinku Yingxing)