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日本の城に登る・歩く
  ( 日 本 百 名 城 )
[画像]  (日本百名城 No.73)  ”広島城” を歩く
  
 広島藩42万石のシンボル ”広島城” を歩く
 広島城 (ひろしまじょう)
 日本百名城 No.73
 広島県広島市
 (撮影 2009.08.10)
 広島城(ひろしまじょう)は、広島県広島市中区基町にある城郭で、鯉城(りじょう)ともいまれています。国の史跡に指定され、広島城全域が広島城址公園となっております。復元された大天守は歴史博物館として利用されています。また広島城は鯉城の別名から「広島東洋カープ」のチーム名が付けられ、カープは英語で鯉の意味であります。 (ウィキペディアより)   
(Size  1,253KB)
広島城を望む 被爆樹木 ユーカリを望む(左側の樹木)
 広島城 ”二の丸表門” を望む
 広島城は西日本有数の城下町・広島藩浅野家42万6000石のシンボルであり、近代は軍都広島の中心施設でありました。日清戦争時には、本丸に大本営が置かれたことがあるという稀有な歴史を持っています。アメリカ軍による広島市への原子爆弾投下の際には破壊目標地点となり、天守は被爆があるまでは日本最古のものでした。

 広島城周辺は都市開発により城があった面影はなく、城址公園以外ではっきり分かる遺構は、広島高等裁判所敷地内にある中堀土塁跡と、空鞘橋東詰南側の櫓台石垣くらいとなっています。    
(ウィキペディアより)
二の丸御門橋と表御門を望む
二の丸表門、正面左側部を望む 二の丸表門の内部
 広島城 ”天守(復元)と水堀” を望む
 広島城は中国地方の覇者、毛利元就の孫・毛利輝元が大田川河口のデルタ(三角州)地帯に築いた城です。 山陽道の要衝として壮大な規模を誇った城でした。天守を含め78の櫓と23ケ所の城門が建ち並び、西側外郭の川縁りには11基の二重櫓が並んでいたとのことです。

 現在の広島城は内堀と、それに囲まれた二の丸・本丸のみが残されています。本丸の大天守が復元(博物館として利用)されています。また二の丸の表御門と御門橋は史実にのっとって木造で平成4年に復元され、平成6年には二の丸平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が復元されています
。   
(帝國博物学協会HPより)

広島城天守閣を望む
 広島城 ”裏(東)御門跡” を望む
 裏(東)御門跡、正面右側部を望む
裏(東)御門跡を望む(三の丸から本丸への入口) 城内より、裏(東)御門跡を望む
 広島城 ”天守” の風景


天守5階からの風景(高いいビルはリーガロイヤルホテル)です 
広島城天守、正面からの風景です 天守最上階の様子です
天守(博物館)への入口です 天守の内部の様子です 天守内にある広島城の模型です 天守(博物館)内部の様子です
 広島城 ”二の丸表御門” を望む
【広島城の名前の由来】

 広島城の別称は「鯉城(りじょう)」です。昔、城のあった一体は「己斐浦」と呼ばれ、広島市西区己斐の地名は延喜式で嘉字地名とされる前は「鯉」であったと言われていることから、この名がついたとのことです。また一説には堀にたくさんの鯉がいたからとも、天守が黒いからとも言われています。その他、「在間城(ざいまじょう)」、「当麻城(たいまじょう)」の別称があります。   (ウィキペディアより)


■ 二の丸表御門 (すべて木造で、江戸時代の古式な姿に復元しています) ■
内側から太鼓櫓・多聞櫓を望む 二の丸表御門(復元)を望む
 ”広島城” 案内
【広島城大天守の崩壊】

 広島城の大天守は、戦前は他の現存する建造物とともに旧制の国宝に指定されていました。太平洋戦争末期の原子爆弾投下の際には、爆発時の熱線に耐えたものの、その直後の爆風による衝撃波と圧力により下部2層が上部の重さに耐えきれず倒壊、間もなく上部3層も崩落し、大量の建材が天守台や北東の堀に散乱した、ということが近年の研究で判明しています。   
     (ウィキペディアより)

ビル群に囲まれる城祉 (城内から太鼓櫓を望む)   (■カーソルセットで”広島城の案内板”が表示されます)
中御門跡を望む
■天守閣下に移築された天守礎石(昭和33年の天守閣復元時に、原型・原寸のままに礎石を移築したものとのことです)  ■広島城の石垣
  
城内から天守を望む 広島城内堀を望む 広島城天守閣を望む 天守最上階の様子です 「史跡広島城址」の案内版(上の写真のカーソルセットで拡大表示します) 二の丸表御門近くにある被爆樹木のユーカリ
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真を表示します。 ■カーソルセットで航空写真を表示します。
後 記 
 広島城は広島藩42万石の壮大な規模を誇る城として覚えておりました。実際に内堀の大きさ、広さをみても昔の壮大さをうかがうことができました。内堀に映える天を突くような天守はまことに見事と思いました。

広島城には、日程の都合で夕方に到着し城内をあわただしく観光しました。軍事都市として発展してきた広島には様々な歴史が刻み込まれていることがわかりました。

 今回は、表御門近くに移植された被爆樹木ユーカリに合掌し、帰途につきました。次回広島にはもっと余裕を持って来たいと思います。    
(2012.05.23)

広島城 内掘に映える大天守を望む


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