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  日本の城に登る・歩く
 
    ( 日 本 百 名 城 )
  
  
    
[画像]  山口県岩国市 ”岩国城(74)” を訪れる
  
  
  
  
  
  
  
  
 日本有数の山城 ”岩国城” に登城する
 
 岩国城 (いわくにじょう)
 日本百名城 No.74
 山口県岩国市
 (撮影 2013.04.29)
 岩国城は、江戸時代初期は岩国領の居城となっていました。山城である横山城は本丸を中心として南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、ほかに水の手などの曲輪が配置されていました。また、麓には「御土居」が築かれていました。本丸には4重6階の天守などを上げていたが、廃城後は天守は破却され、土居が陣屋として存続しました。
 城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出しています。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備されていました。

 現在、御土居跡は、吉香公園(きっこうこうえん)として整備され、横山山頂には再建天守があります。 (ウィキペディアより)   
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錦帯橋と岩国城を望む 岩国城、天守を望む
 



 
 吉香公園より ”岩国城” を望む
 

 【岩国城、旧天守台について】  − 現地案内板より −

 岩国城は、江戸時代には珍しく、山上に築かれた近世城郭である。この城郭は、毛利氏の一族、吉川広家(きつかわひろいえ)が慶長8年(1603)に着工、同13年完成したが、元和(げんな)元年(1615)一国一城令により破却された。
 城郭の中心となる天守台は、古式穴太積み(こしきあのうづみ)と呼ばれる石積みを基本としながらも、戦国時代に、地方独自の石積みの技術が加わった形で造られた構造物である。
 天守台の石垣は、大きめの石と、すき間に詰めた小さめの石からなり、隅部の角石(すみいし)には算木(さんぎ)積みの技法が見られる。その隅部には、反(そ)りはなく、ほぼ直線状の稜線に仕上げられており、見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっている。これにより、戦国武将吉川氏の石垣の力強さを垣間見ることができる。

 
■ 吉川広嘉公銅像を望む(吉香公園にて) ■
  
 
岩国城、ロープウェイ山頂駅から天守へ進む 岩国城、ロープウェイ山頂駅から二の丸の途中にある石垣です
 
 岩国城 穴太積みの ”石垣” を望む
 
■ 岩国城、正面は二の丸の石垣です。左は出丸跡で大手門跡に続いています ■
  
岩国城、天守閣回りの様子です 岩国城、”天守閣”への石段です
  
 
 岩国城 ”天守閣” を望む
   
■ 岩国城、 ”天守閣”を望む ■
 【現地案内板より】 
 天守閣は、昭和36年3月復元工事に着手し、昭和37年3月に竣工したもの。高さは、20.23mです。
岩国城、”天守閣”を望む 岩国城、吉川家の家紋が入った瓦です
 
 岩国城 ”天守閣” からの眺望
 
【岩国城、天守閣復興について】

 岩国城の天守閣は、1962年(昭和37年)3月21日、本丸南側に「天守構造図」という絵図を元に鉄筋コンクリート構造によって復興天守が建てられました。設計は、藤岡通夫(東京工業大学教授)によります。
 本来の天守台は約30m離れた本丸北側にありましたが、麓からの見栄えを重視して建設されています。現在見られる、本来の天守台は平成7年(1995年)に発掘復元されたものです。山上には、他に石垣や堀の遺構があります。   
(ウィキペディアより)
 
■ 天守閣からの眺望。錦川にかかる錦帯橋が望めます ■
  
岩国城、天守閣から眼下の眺めです 岩国城、天守閣入口の様子です
  
  
 
岩国城、”天守”からの風景です(1) ”天守”の内部の様子です(1) ”天守”の内部の様子です(2) 岩国城、”天守”からの風景です(2)
  
 
 岩国城 ”天守閣跡” を望む
  
■ 岩国城、天守閣跡を望む ■
   
岩国城、北の丸を望む。子供の遊び広場として活用していました 岩国城、天守閣跡です
  
  
  
二の丸広場の様子です 岩国城、天守閣を見上げる 石垣、左側に”天守閣”があります 大釣井(大井戸)です
  
 山口県 ”岩国城” 案内
  
【日本百名城  岩国城】

 【 岩国城の築城 】

 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は領地を大幅に削減され、広島城から萩城に移封となった。同時に一族であり毛利家存続に注力した吉川広家も同時に米子城から当地岩国に3万石で封じられた。

 慶長6年(1601年)に吉川広家がこの地に赴任した。広家赴任と同時に岩国城の築城が開始され、麓に平時の居館となる「土居」と、戦時の城「横山城」が横山山上に築かれた。築城には8年の歳月が費やされ、翌慶長7年(1602年)に土居が完成した。土居完成とほぼ同時期に横山城の築城が開始され、慶長13年(1608年)に竣工した。本丸には4重6階の唐造りの天守が建造された。
しかし、完成からわずか7年後の元和元年(1615年)に幕府の一国一城令により横山城が破却され廃城となった。    (ウィキペディアより)

  
■ 錦帯橋と岩国城を望む ■
   
岩国城(横山)を望む 岩国城を望む(ズームアップする)
  
 岩国城、ロープウェイからの風景です 岩国城天守閣を望む  ロープウェ山頂駅にある時計塔です 岩国城ロープウェイからの風景です
 
  
  
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記   
 岩国城については、城よりも錦帯橋のほうをよく知っていました。錦川と錦帯橋、そして横山山頂にそびえたつ岩国城天守なかなかの眺望でした。天守については、横山山頂に着いて分かったことですが、本来の天守(岩国城天守閣跡)は、30m程山側ありました。城下からの見栄え等を優先し現在の場所に再建したとのことです。現代の色々な人の、色々な思いが有り再建になったとは思いますが、個人的には多少興ざめの感じになりました。それでも天守から眺める錦川、錦帯橋の眺めは最高でした。  (2014/4/16)

岩国城展望台。左から錦帯橋を望む
  


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