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日本の城に登る・歩く
  ( 日 本 百 名 城 )
[画像]  (日本百名城 No.80)   ”湯築(ゆづき)城” を歩く
  

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  ”湯築城” を歩く
 湯築城 (ゆづきじょう)
 国の史跡
 日本百名城 No.80 
 
 愛媛県 松山市道後町
 (撮影 2011.05.02)
 湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町の県立道後公園内にある河野氏の城跡です。堀や土塁が現存するのみです。国指定の史跡で、代表紋章は「折敷三文字」です。 (ウィキペディアより)   

 湯築城祉(道後公園)は、観光客も少なく道後温泉の騒がしさを忘れ、ゆっくりと城祉を見学することができました。
(Size: 1,303KB) 再現された武家屋敷と湯築城跡 湯築城跡入口
 湯築城(道後公園) を望む
 湯築城は、中世の伊予国守護河野氏の居城でした。南北朝期(14世紀前半)から戦国期(16世紀末)まで、250年以上にわたって伊予国の政治・軍事・文化の中心でした。
 現在の道後公園全体が湯築城跡(南北約350m、東西約300m)で、中央に丘陵があり、周囲に二重の堀と土塁を巡らせた平山城です。築城当初は丘陵部を利用した山城でしたが、16世紀前半に外堀と外堀土塁を築き現在の形態になったものと推定されます。また、江戸時代に描かれた絵図から、東側が大手(表)、西側が搦手(裏)と考えられます。  (道後公園湯築城祉HPより)
道後温泉側は、城祉の面影はあまり有りません。左側の看板で城祉だとわかる程度でした。
湯築城祉、展望台方面を望む 湯築城祉展望台にて
 ”湯築城” より ”高松城” を望む
湯築城、展望台より高松城を望む。 (■カーソルセットで高松城がアップします)
 湯築城 ”城内” を歩く
 湯築城、内掘を望む
上級武士居住区跡を望む 写真上:展望台より、外堀土塁を望む 写真上:外堀土塁より外堀を望む
 湯築城 ”内掘” を望む
■ 湯築城内掘を望む。左側は内掘土塁です。 ■
湯築城、庭園の池 湯築城、最大の土坑跡(ごみ穴跡)

[庭園の池] 現地案内板より

 ここでは池が発見されました。3m四方に小石を敷き詰めた深さ0.3mの浅い池と、大きな石を周囲に配置した最長8m、最深部0.8mの池が一体化した形です。
 道路に沿って流れている排水溝から、細い溝をつないで池に水を取り込んでいます。
 池の周囲には建物の一部と思われる礎石があることから、池をのぞむ建物などがあり、庭園が造られていたと考えられます。
 湯築城 ”発掘調査と再現”
【湯築城跡の発掘調査】

 湯築城跡の発掘調査は、1988年(昭和63年)に開始され、これまでに公園の南部を中心に約2万平方メートルについて調査をしています。
 公園の南部では、外堀の内側に排水溝をともなった道路が巡り、その内部は、西側では建物の周囲を土塀などで小さく囲んだ「家臣団居住区」、東側では広い区画内に「庭園区」をともなう「上級武士居住区」が発見されるなど、城内が機能や格式によって使い分けられていた様子が明らかになりました。
 また、遺構とともに多種多様な遺物が豊富に出土し、当時の湯築城内の生活を復元する上で貴重な資料が得られています。    
(道後公園湯築城祉HPより)
■ 左、外堀土塁と再現された ”武家屋敷”(家臣団居住区跡) を望む。 ■
  
発掘された排水溝を望む 武家屋敷の様子です
  
”土塁展示室” を望む 土塁展示室の内部です (■カーソルセットで説明図が表示します)
 ”湯築城” 案内 (重要文化財・道後温泉本館)
  【湯築城の歴史】

湯築城は、14世紀前半、伊予国守護河野氏によって築城され、東に追手門、周りに二重の堀をめぐらせた平山城でした。

 1585年(天正13年)、四国征伐をめざす豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が伊予に侵攻して金子元宅を攻撃し、湯築城は、約1ヶ月の篭城の後に降伏しました。城にとどまっていた河野通直は命は助けられしたが、2年後に病没しました。湯築城は小早川隆景に与えられ、1587年(天正15年)、福島正則が城主となり、正則は居城を国分山城に移したため、湯築城は廃城となりました。     
(ウィキペディアより))

湯神社より、重要文化財・道後温泉本館を望む (■カーソルセットで”湯築城祉”案内図が表示されます)
■湯築城祉前の商店街、この先に道後温泉があります  ■道後温泉正面入口です
  
子規記念博物館です ”坊っちゃんカラクリ時計”です 商店街より道後温泉(正面)を望む 道後陰線看板です 温泉でくつろぐお客さんです 湯神社を望む
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真を表示します。 ■カーソルセットで航空写真を表示します。
後 記 

 湯築城には、櫓、石垣等の目立つ遺構は無く、土塁と堀の残されている城でした。1580年代に廃城となり、廃城から500年近くたっても城の原型を保っていることは、すごいことだと思いました。
 また、城内を歩きながら現在に残されている土塁の高さ、堀の幅の規模を見て戦用としては、守りが弱わかったのではないか、と勝手に想像してながら散策をしていました。

 城内からは高松城の天守が見えたり、万葉の時代から続く温泉、ぼっちゃんの道後温泉は目の前にあり、この地の長い歴史の積み重ねがこの落ち着いた公園(城祉)から伝わってきました。     
(2011.06.01)



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