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     日本の城に登る・城を歩く
(撮影:2003年04月27日)
 
 
No.1  茨城県で唯一、江戸時代からの現存建物 ”土浦城”     (茨城県:土浦市)
 
 土浦城は室町時代、永享年間(1429〜41)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初である。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。天守は作られなかったが、幅の広い二重の堀で守る平城である。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。亀城(きじょう)との別名を持つ。(ウィキペディアより) 
拡大  東櫓     拡大 
 


 
No.2   ”東櫓” を望む(1)  
 
  1676年(貞享4年)土屋政直が土浦城主として入封。常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋氏(九万五千石)が11代、約200年間世襲して明治維新に至った。亀城公園(土浦城)には江戸時代から存する建造物として、本丸と二の丸を結ぶ太鼓櫓門と霞門があり、茨城県で唯一、江戸時代からの現存建物遺構の存在する城となっています。(ウィキペディアより)
 
 

  
 
No.3  ”太鼓櫓門”の眺め 
 



 
No.4  ”東櫓” を望む(2) 
 

 明治17年の失火で消失してしまっていたが、平成10年(1998)に復元され、内部は市立博物館の分館として公開されています。

  
  
 
 
No.5  ”土浦城址” 亀城公園の案内図  
Yahoo地図より       Yahoo地図より(拡大)         JR土浦駅前    
 
 
 
 土浦の地は、天慶年間(938〜47)平将門がこの地に砦を築いたのが始めといわれています。
土浦城の城地は、霞ヶ浦西浦湖にそそぐ桜川の低地にあり、その自然地形を巧みに利用し、全体には土塁と堀をめぐらせて、周辺の沼沢に水を流入させ、水城、浮城としたものでりまする。土浦城はそのためその姿が水に浮かぶ亀に似ていることから、”亀城”の別称がある。
 城郭は、本丸を中心として二の丸がこれを囲み、東南に三の丸、外丸や亀井郭・西郭・巽郭などがあり、武家屋敷や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ濠などの堀が五重にめぐらされた総構えのの規模をもつものであった。
 天守は造られなかったが、櫓7基のほか多くの城門、枡形があった。(ウィキペディアより)
 
 土浦城(亀城公園)は、土浦駅からも比較的近く、子供たちがたくさん遊んでいました。市民に親しまれている公園という感じがしました。



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