Ver.4 
 日本の城に登る・歩く
[画像] 日本100名城  信州・北陸の城 (No.1 〜 No.9)
 
  
  
  
 蒲原郡6万石 ”新発田城” を歩く
 新発田城 (しばたじょう)
 日本100名城 No.24
 新潟県新発田市
 (撮影 2011.08.09)
  新発田城(しばたじょう)は、現在の新潟県新発田市(越後国蒲原郡)にある城郭です。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていました。新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現存する城跡です。
 近くを流れる新発田川の流れを利用した平城でした。石垣には石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる工法である切り込みハギが用いられています。  
(ウィキペディアより)
(Size: 1,311KB) 天主閣の役目をはたしていた三階櫓を望む 新発田城表門を望む
  
  
 ”甲府城” 別名、舞鶴城(まいづるじょう)に登る
 甲府城 (こうふじょう)
 日本百名城 No.25  
 山梨県甲府市
 (撮影 2008.04.05)
 武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。かつては20haほどの広大な城郭でした。
 現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されています。(甲府市観光ガイドHPより
(Size: 1,109 KB) 甲府城を望む 城内より富士山を望む
  
 ”松代城” を歩く
 松代城 (まつしろじょう)
 日本百名城 No.26  
 長野県長野市松代町
 (撮影 2011.06.05)
 松代城(まつしろじょう)は、長野県長野市松代町松代にある城郭です。元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていましたが貝津城とも言われていました。城郭の形式は輪郭式平城です。国の史跡に指定されています。
 平成14年までの整備事業により、本丸太鼓門・北不明門の2つの櫓門と二の丸の土塁や堀が復元されています。 復元された北不明門は、太鼓門とは異なり、石垣と石垣の間に建てられ、中世城郭の城門を思い出させてくれる古い様式の門となっています。   
(ウィキペディアより) 
(Size:    KB) 松代城太鼓門を望む 松代城を望む
  
 真田幸村の居城 ”上田城” に登る
 上田城 うえだじょう)
 日本百名城 No.27
 長野県上田市
 (撮影 2011.06.04)
 上田城は、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城です。真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名です。
 江戸時代には上田藩の藩庁が置かれ、真田氏が信濃国松代へ転封された後は仙石氏が入城し、破却された上田城を現在のような姿に再建した。仙石忠政により、再建された本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。
 明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓が1棟残るのみであったが、昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されています。  
(ウィキペディアより)
(Size:    KB) 上田城 尼ヶ淵から西櫓を望む 上田城本丸南櫓と東虎口櫓門を望む
 ”小諸城” を歩く
 小諸城 こもろじょう)
 日本百名城 No.28
 長野県小諸市
 (撮影 2011.06.04)
 小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとしたと伝えられています。その後小諸城主となった仙石秀久により石垣を構築した近世城郭に改修され、完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城です。仙石秀久が築いた「大手門」や野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されています。
 また、明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられました。現在の「三の門」に掲げられた扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の筆によるものです。
(ウィキペディアより)
(Size:    KB) 小諸城城 三の門を望む 小諸城 天守閣跡を望む
 国宝 ”松本城” に登る
 松本城 (まつもとじょう)
 国宝
 日本100名城 No.29
 長野県松本市
 (撮影 2003.05.31)
  松本城は、姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつであります。以前は深志城(ふかしじょう)と呼ばれ、別名烏城(からすじょう)とも呼ばれ親しまれていました。戦国時代の永正年間に、信濃守護家小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。現在の松本城は、1598年(天正18年)石川数正が8万国を領し、築城したものです。 (ウィキペディアより)   
(Size: 375 KB) 松本城を望む 松本城天守から望む
  
 中央アルプスを望む ”高遠城” に登る
 高遠城 たかとうじょう)
 国の史跡
 日本百名城 No.32
 
 長野県伊那市
 (撮影 2005.04.16)
 高遠城(たかとおじょう)は、1547年(天文16年)に築城され、諏訪氏一門の高遠頼継が居城としていました。兜山城の別名をもち、桜の名所としても有名です。1545年(天文14年)4月に武田勢は高遠城を攻めを行い、伊那地方への進出拠点としました。軍師である山本勘助や秋山信友に命じて大規模な改築を行い、高遠城は対織田の重要な軍事拠点となる。1691年(元禄4年)に内藤清枚が3万3千石で入封。以後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えました。  (ウィキペディアより) 
(Size: 729 KB) 高遠城を望む(1) 高遠城を桜雲橋を望む
 百万石の息吹 ”金沢城” を歩く
 金沢城 (かなざわじょう)
 国の史跡
 日本百名城 No.35 
 
 石川県金沢市
 築城:佐久間盛政
(撮影 2004.10.11)
 1546年(天文15年)空堀や柵などを備えた城作りの寺院の尾山御坊(金沢御堂)が建設され、加賀一向一揆で加賀国の支配権を得た本願寺の拠点となった。1580年(天正8年)佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称して用いた。1583年(天正11年)前田利家が入城し本格的な城作りが開始された。あまり堅固な城とは言えず、有事の際は城下町にて敵を迎え撃つため軍事拠点として多くの寺が建立されていた。 (ウィキペディアより)   
 金沢城の瓦は冬の積雪に耐えられるように、軽量であり、また、有事には鉄砲弾にもなる鉛瓦が用いられるとのことです。石川門等、1935年に国の重要文化財に指定されています。城そのものは、復元のせいか非常に新しく奇麗で違和間はあるが、城内の広さは城跡を偲ばされます。
(Size: 468 KB) 金沢城を望む 金沢城 ”菱櫓”から望む
 日本最古の城 ”丸岡城” を歩く
 丸岡城 まるおかじょう)
 現存最古の天守
 日本百名城 No.36
 福井県坂井市
 (撮影 2004.10.09)
 丸岡城は、1576年(天正4年)に越前の領主柴田勝家の甥である勝豊により、築城された平山城です。福井平野に浮かぶ小高い独立丘陵という絶好の地形に、勝豊はそれまでの豊原寺城から当城に移った。1695年(元禄8年)有馬清純が越後国糸魚川藩より5万石で入城。以後、有馬氏6代の居城となり明治維新を迎えた。 (ウィキペディアより)
 天守は、現存12天守の中で最古とされ、江戸時代以前に建造された貴重な天守の一つである。城は思いのほか、こじんまりとしていたが、威厳・風格のある城である。
(Size: 379 KB) 丸岡城を望む(1) 丸岡城を望む(2)
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