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世界遺産を訪ねる・歩く
( 日 本 古都奈良・吉野山 )
[画像]  [日本-奈良・吉野山]  No.9 世界文化遺産 吉野山 ”吉水神社”を訪れる
(吉水神社 書院:左側の建物 を望む)
 日本最古の書院建築 吉野山”吉水神社” を訪れる
 吉水神社(よしみずじんじゃ)
 紀伊山地の霊場と参詣道
 世界文化遺産(2004年)
 奈良県 吉野郡吉野町
(撮影 2011.09.23)
 吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社です。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっています。
もとは金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)でしたが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となりました。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀しています。

 吉水神社は後醍醐天皇のほか、源義経や豊臣秀吉ゆかりの地でもあり、多くの文化財が所蔵されています。  (ウィキペディアより)
(Size : 1,173KB)  吉水神社を望む 吉水神社、書院を望む
 吉水神社 ”山門” を望む
鳥居からのなだらかなくだり坂を過ぎると目の前に山門が現れます。
吉水神社の鳥居 吉水神社の案内板、鳥居の横にあります。
 吉野山 吉水神社 を望む
 吉水神社は元吉水院として、今からおよそ千三百年前に役行者(えんのぎょうしゃ)が創立した格式の高い修験宗の僧坊でした。書院の奥の部屋には鬼を従えた役行者の像が祀ってあります。   (現地案内板より)
吉水神社、書院を望む
吉水神社、入口の様子です 祭神に楠正成公・吉水宗信法印公が合祀されています
 ”後醍醐天皇”を主祭神とする吉水神社 
■ 第九十六代 後醍醐天皇 を主祭神とする ■
 吉水神社 日本最古の書院を見る
吉水神社の書院は、日本住宅建築史上最古の書院として、ユネスコより世界遺産に登録された書院です。
現在の日本住宅の源流をなす最古の実例として数々の珍しい手法が見られ、初期書院造りの代表的なものとなっています。   
(現地案内板より)
■ 文禄三年(一五九四)豊臣秀吉公が吉水神社を本陣として盛大なる花見の宴を催した ■
吉水神社書院の風景 吉水神社、樹齢約400年の御神木
 後醍醐天皇南朝の皇居 吉水神社
【吉野皇居 吉水神社パンフレットより(後醍醐天皇南朝の皇居)】

 延元元年(一三三六)京の花山院より免れた後醍醐天皇が吉野に御潜幸になり吉水院宗信の援護のもとに当社を南朝の行宮と定められたのである。
かくて天皇が当社に第一歩を記されてよりかの悲壮な吉野朝四代五十七年に渡る血涙の歴史の第一頁が開かれここに南北朝の対立が始まったのである。天皇はこうしたへき遠の地に優悶の数年を過ごされたが、遂に病を得て悲憤の最後を遂げられたのである。即ち当社はその南朝の御本家に当たり現在吉野朝、唯一の行宮である。


          
花にねて 

         よしや吉野の吉水の 

             枕の下に石走る音


 この有名な御製は今も尚玉座の下に流れ続ける宗々とした瀬古川のせせらぎを聞かれて歌われた御心中むせぶが如く泣くが如く今に琴線にふれるものがある。
■ 後醍醐天皇の玉座を望む ■
  
源義経潜居の間 後醍醐天皇の玉座 役行者(えんのぐおうじゃ)像
 吉野山 ”吉水神社” 案内
【吉野皇居 吉野神社パンフレットより(源義経、静御前悲恋の古跡)】

 文治元年(一一八五) 源義経は兄頼朝の追手を逃れて静御前、弁慶等と共に吉野に潜人され当社にしばらく亡命されたのであるがそれも束の間追われる者の運命でここから悄然として吉野落をされ奥州へ落延びたのである。

      
吉野山

       峰の白雪踏み分けて

           入りにし人の跡ぞ


と歌われたように当社がいわゆるその天下に名高い義経と静の大口マンスの舞台である。悲運に生きた一代の英雄と佳人との雪路の別れを今に追想するとき、いかに詩的情景であったであろうか、その余りにも美しい悲恋物語は永く後世に伝えられ愛惜されている。
■吉水神社境内にある ”一目千本” の眺望 (◆カーソルセットで吉水神社書院の案内版が表示されます)■
北闕門(ほくけつもん)を望む 吉水神社の案内版
  
吉水神社境内の一目千本の広場です 書院を望む 拝観券売り場の様子です 吉水神社より蔵王堂を望む
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
後  記
 シーズンオフの吉野山は観光客も少なく、ひっそりと時を刻んでいるように思えました。吉水神社にも先客は一人旅の女性と女子学生らしい二人づれだけでした。
 吉水神社へは余り事前知識もないまま訪れました。神社でのパンフレット、案内版を見て歴史の古さ、激動の歩みをしり、ビックリさせられました。
     ○後醍醐天皇南朝の皇居
     ○源義経、静御前の潜入
     ○豊臣秀吉公(豊太閤)の豪華な花見
など、この神社を中心におこっていたことがわかりました。

 次にこの神社を訪れる時は、桜の季節 ”一目千本” をこの目で見てみたいと思いました。
  (2011.11.23)


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