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         世界遺産を訪ね・歩く
坐仏を望む       
   
(撮影:2009年4月12日) 
  

 侵攻よる破壊の後(寺院)
 
 ワット・プラ・マハタートは、14世紀を代表する重要な仏教遺跡です。1374年、3代王ポムラ・ラチャシラット1世がブッダの整骨を納めるために建立したとされています。2代目ラーメスアン王が建てたという説もあります。
 建設当時は、敷地中央に高さ44mの黄金の仏塔がそびえていたが、ビルマ軍の侵攻によって破壊されました。今では壊された仏塔や壁が残されるのみとなっています。
(るるぶ バンコク・アユタヤより)
 
    
 
仏戦争の後
  破壊された仏像により、戦争の凄惨さを今なお教え続けている遺跡です。




  
 
 
 
 菩提樹に覆われた仏像
 
 
菩提樹に覆われた仏像の頭
後方から見た菩提樹 正面より
 
 

 
 クメール様式とスリランカ様式混在の寺院 
 
 ワット・プラ・マハタートは、クメール様式やスリランカ様式などが混在したアユタヤ初期の寺院跡であります。高さ44mの仏塔を建てたといわれていますが、今は崩れ落ちて土台部分が残っているだけで、まるで瓦礫が山のようになっています。

 
クメール様式とスリランカ様式の仏塔が並んでいます
 
 崩れた仏塔
拡大    
 
 

 1911年、仏塔が崩れる
 
 
 中心にあった仏塔は、1911年に崩れたが、1956年その地下から仏像や宝飾品が発見されています。現在チャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。 (「地球の歩き方」 タイより)

 
 
  
クメール・スリランカ様式混在   クメール様式の仏塔
 

 破壊、頭の無い仏像群 
  
 ここの遺跡はビルマ軍の侵攻により破壊されたとのことです。特に頭の無い仏像は数え切れないほど有りました。また、仏像の置かれていた思われる空の台座も沢山あり、最盛期の凄さが想像できます。

 
頭の無い仏像と台座(■Zoomで拝観時の注意事項表示(日本語あり))
 
 
 

 アユタヤ ”ワット・プラ・マハタート ”  案内
  
 るるぶ タイ・バンコク より】

 アユタヤ王朝が開かれたのは1350年。以降、35代417年間に渡って繁栄したが、その要因が街を囲むように流れる川。アユタヤはチャオプラー川とその支流に囲まれ、かっては”水の都”とも呼ばれていたという。運河が整備されたアユタヤは商業と文化の中心地となり、寺院や仏像も多く作られるようになった。1767年ニビルガマ軍に占領され、王朝は終わりを告げた。

 
ビルマ軍侵攻により破壊された仏像が修復され、そのまま残っています    
 
 
  頭の無い仏像
 
 
 
 
    
 
 
 
Yahho!地図より ■Zoom ■Zoom
 
 
 
後 記
 
  ガイドさんの話によるとかってはタイとビルマは四十数回もの戦争をしたとのことです。その戦争により、当時の技術者が捕虜になり、寺院建築にあたり各種の様式ができたとのことです。
  ここワット・プラ・マハタートは大小の仏像が頭の無い状態で沢山安置されております。その仏像も修復された後が沢山ありました。
  また、中央には仏塔が崩れ、巨大なガレキの山となっています。そしてそこへ通じる行先の無い階段が歴史の過酷さを物語っているような気がしました。
  ここは、遺跡として、廃墟としての凄惨さを今も伝えて続けている場所と思いました。  
(2009.4.12)

 


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