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[画像]  世界文化遺産 グラナダ ”アルハンブラ宮殿” を散策する (2/2)
  
  
  
  
  
 

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 1.グラナダ ”アルハンブラ宮殿” を散策する
 
 アルハンブラ宮殿
 世界文化遺産
 「タ”グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン”」として
 1984、1994年に登録
 スペイン アンダルシア州
 グラナダ県 グラナダ市
 (撮影 2016.07.18)
  アルハンブラ宮殿(アルハンブラきゅうでん)は、スペインのアンダルシア州グラナダ県グラナダ市南東の丘の上に位置する城塞・宮殿です。

 アルハンブラ宮殿の装飾は、天井に施された彫刻は、ムカルナスと呼ばれる形式の鍾乳石飾りの天井装飾です。数種類の基本となるタイルを組み合わせ、蜘蛛の巣状のモチーフを立体的に表現する技法になっています。
 イランのニーシャープールやエジプトのフスタートなど東方で発祥・発展したものがイベリア半島まで移入してきたものです。柱や壁の彫刻の中には女王が残したメッセージが隠されているとのことです。
 宮殿内に敷き詰められたタイルは一枚一枚当時の職人によって作られたものです。
            (ウィキペディアより)
(Size : 4,333KB) アルハンブラ宮殿 ”サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会” を望む ”リンダラハの中庭”を望む


 
 2.アルハンブラ宮殿 ”リンダラハの中庭”にて
 
 
 
■ リンダラハの中庭(Patio de la Lindaraja)を望む ■





宮殿内より、リンダラハの中庭(Patio de la Lindaraja)を望む
中庭に咲いているお花です(1) 中庭に咲いているお花です(2)
■ アルハンブラ宮殿、”リンダラハの中庭”からの出口です。この先に”パルタル庭園”があります ■
 


 
 3.アルハンブラ宮殿 ”サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会” を望む
 
”サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会” を望む

”パルタル庭園”を目指す
パルタル庭園にて、右側が貴婦人の塔となります パルタル庭園にて
アルハンブラ宮殿は、お花と緑豊かな宮殿です(パルタル庭園にて)
【サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会について】

 昔モスクのあった場所にキリスト教徒によって建立された教会です。鐘楼が印象的な教会となっています。ただ、パルタル庭園からの眺めにはなんとなく違和感があるように思えました。  
 


 4.アルハンブラ宮殿 ”パルタル庭園” を散策する
 
■ パルタル庭園、貴婦人の塔を望む ■
貴婦人の塔を望む
パルタル庭園に敷き詰められていた小石です。個人的にはなかなか見事であると思いました
【パルタル庭園について】

 ライオン宮からナスル朝宮殿の出口を出れば、その東に広がるのがパルタルの庭(Partal )です。貴婦人の塔のほか、住宅、宮殿、街路、消滅した貯水槽の名残を見ることができます。ここはかつては、優雅な邸宅や豪華な宮殿が建ち並ぶ緑地でした。池を従えた小さな平地に建つ貴婦人の塔の柱廊はアラビア語でパルタル(屋根つきの柱廊)とよばれ、庭一帯がそう呼ばれるようになりました。貴婦人の塔は、前面の池とともに、この地域で唯一保存されているムハンマド3世(1302年〜1309年)治世の建造物であり、それゆえ昔存在した宮殿の名残りであろうと考えられています。     (旅行記・アルハンブラ宮殿HPより)

 


 5.アルハンブラ宮殿 ”囚われの塔” を望む
 
 
 アルハンブラ宮殿には、30を越える塔が配置されていましたが、現存する塔は22となっています。外側の城壁は防御の目的から13世紀初頭、宮殿以前に建造されました。専門家によれば、14世紀には軍事的な意味合いは薄れ、グラナダの市街地とアルハンブラという2つの世界の境界線となると同時に、住いとしての小宮殿となりました。

 ヘネラリーフェへの散歩道路沿いに、くちばしの塔、王女たちの塔、囚われの塔、水の塔と並んでいます。囚われの塔(写真下)は、1340年に建造されたもので、現在の名前は、18世紀につけられたものとのことです。この塔にちなんだ伝説に由来するものだといわれています。
 
アルハンブラ宮殿、”囚われ人の塔”を望む
アルハンブラ宮殿の石垣の一部です
右後方は、”くちばしの塔”が見えます ”王女たちの塔”を望む
”水の塔”を望む
 水の塔は、宮殿防御機能以外に、集落全体に水を供給する用水路を守るという、極めて重要な役割を果たしていたとのことです。  (ガイドブック『アルハンブラ散策』より)
 
アルハンブラ宮殿、”囚われ人の塔”を望む
 
 


 6.世界文化遺産 グラナダ ”アルハンブラ宮殿” 案内
 
 
【アルハンブラ宮殿について】

  11世紀前半から、キリスト教徒の国土回復運動であるレコンキスタが本格化しました。1085年にはトレド、1236年にはコルドバ、1246年にはセビーリャを陥れ、イスラム圏に残されたのは、グラナダを中心とするアンダルシア南部地方のみとなりました。

 一方、アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、この時期にグラナダを首都とて建国したナスル朝(1238年 - 1492年)でした。
 ナスル朝はイベリア半島最後のイスラム王国で、メディナ出身デアル・アフマド家の血を引くムハンマド1世、および、その子ムハンマド2世が60年も歳月をかけ、水道を設置し、アルカサーバの拡張工事を行い、宮殿(14世紀に取り壊され、現在は残っていない)を造ったのです。

 ナスル朝の黄金時代を築いたのはユースフ1世とその息子ムハンマド5世でした。ユースフ1世時代には、城廊では、マチューカの塔、コマーレスの塔、正義の門、スィエテ・スエーロスの門、宮殿ではコマレス宮を中心とする建物が造られました。     (ウィキペディアより) 

         
 
アルハンブラ宮殿より、”ヘネラリーフェ”を望む
アルハンブラ宮殿の塔を望む。左は”王女たちの塔”、右は”囚われの塔”とのことです
アルハンブラ宮殿より、”ヘネラリーフェ”への道です
  
   
アルハンブラ宮殿、城壁を望む アルハンブラ宮殿の遺構を望む アルハンブラ宮殿にて アルハンブラ宮殿、乗車場にて
  
Google Mapより(■カーソルセットで写真表示) Google Mapより(■カーソルセットで写真表示) Google Mapより(■カーソルセットで写真表示)
  
 
 
 
( 後   記 )

  アルハンブラ宮殿の散策で、イスラムの寺院などに見られるシンメントリー的な美しさが好きな私は、パルタル庭園から望む貴婦人の塔の池と塔のバランスのとれた美しさがとても気に入りました。池とその周辺は四角形を基調とした、モザイク模様で構成さ日本の庭園とは別の静けさを感じました。一番驚かされたのは、小石を敷き詰め、水の渦を描いたような歩道でした。これは現在のものなのか、中世からのものなのか非常に興味を持ちました。また、アルハンブラ宮殿からヘネラリーフェへ続く道にも小石の敷き詰めた歩道がありますが、パルタ庭園の歩道は見事だと思いました。

 庭園などの散策では緑と池、水の豊富な宮殿であると思いました。また宮殿の周囲は堅牢な城壁と塔で守られているのを見ると、城塞としても立派でもあるのだなーと感じました。                                              
(2016/9/7)
 
 
 
アルハンブラ宮殿、パルタル庭園 ”貴婦人の塔”を望む
サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会”を望む
アルハンブラ宮殿からの眺望、”城壁”を望めます
 



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