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 日本の歴史を訪ね歩く
    (関東地方の寺院・神社に参拝する)
  
  
    
[画像]   東京都 ”増上寺” に参拝する
  
  
  
  
  
  
  
  
東京都 ”増上寺”を訪れる
 
 増上寺(ぞうじょうじ)
 寺院 (徳川家菩提寺)
 東京都港区芝公園四丁目
 (撮影 2015.02.14)
 増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の寺院です。山号は三縁山。三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)と称しています。

 徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったといわれています。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移されました。   (ウィキペディアより)
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増上寺、大殿と東京タワーを望む 増上寺、三解脱門を望む
  増上寺 ”三解脱門”、”大門” を望む
 
■ 増上寺、三解脱門 (国の重要文化財に指定)を望む ■
  
三解脱門を望む 増上寺、寺号碑を望む
増上寺、”大門”を望む。奥に見えるのは三解脱門です
 


 浄土宗 大本山 ”増上寺” にて(1)
 
■ 増上寺、”大殿”を望む ■
  
 増上寺境内の様子です、右はグランド松(ヒマラヤ杉)です   増上寺、鐘楼堂を望む
三解脱門より、大殿を望む


 浄土宗 大本山 ”増上寺” にて(2)
 
■  増上寺境内の様子です。正面は ”三解脱門”です ■
  
”水盤舎(すいばんしゃ)”を望む。この水盤舎は、清揚院殿霊廟(甲府宰相綱重公・三代家光公三男)の一部でありました。明治時代の解体・昭和の空襲を逃れたものを、現在地に移築したものです。徳川将軍家霊廟建築を伝える貴重な遺構のひとつであります。  (増上寺HPより) グランド松(ヒマラヤ杉)です。明治十二年(1879年)、アメリカ合衆国第十八代大統領グラント将軍が訪日の際、参拝記念に植樹されたものとのことです



増上寺 ”大殿”を望む


  増上寺 ”安国殿” を望む
 
■ ”安国殿”の鬼瓦を望む ■
”安国殿”の全景です


”安国殿”にて
  
増上寺、”三解脱門”を望む ”三解脱門”より、大門方面を望む 増上寺、大殿にて ”増上寺会館”を望む
増上寺、”圓光大師堂”を望む 増上寺、”経蔵”を望む 増上寺、”慈雲閣”を望む 増上寺、”大殿”左、”安国殿”右を望む
中央は東京タワーです
 


 増上寺 ”西向聖観世音菩薩” にて
 
■  千躰子育地蔵尊を望む  ■
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和五十年(1975年)より順次奉安されております。
  
  
西向観音像(建屋の中です)を望む (港区の文化財)


 上増寺 ”徳川将軍家墓所” 拝観
 
【 徳川将軍家墓所 】
  
 徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られている墓所です。

現在の霊廟の被葬者は下記の通りです。
 ・2代将軍秀忠夫妻(台徳院・崇源院):台徳院宝塔は戦災で焼失したため、崇源院宝塔(石塔)に合祀されている。門より向かって右最奥部にある。
 ・6代家宣夫妻(文昭院・天英院):青銅製、入口より向かって左最奥部にある。
 ・7代家継(有章院):石塔、入口より向かって右・秀忠夫妻墓の手前。
 ・9代家重(惇徳院):石塔、家継墓の手前。
 ・12代家慶(慎徳院):石塔、入口より向かって右最前部。
 ・14代家茂(昭徳院):石塔、入口より向かって左・家宣夫妻墓の手前。
 ・家茂夫人和宮(静寛院):青銅製、家茂墓の手前。
 ・合祀塔:石塔、入口より向かって左最前部。家宣の父・綱重(清揚院)、5代綱吉の生母・桂昌院、11代家斉の正室・広大院、13代家定の正室・天親院、家宣の側室・月光院、家斉の側室・契真院、家慶の側室である見光院・殊妙院。

その他計35名の将軍家ゆかりの子女が合祀されている。合祀以前はそれぞれ宝塔・墓が独立していた。現在の合祀塔は、もとは月光院に在ったものです。       
(ウィキペディアより)

 
■ 正面奥左側は6代家宣夫妻、右側は2代将軍秀忠夫妻の霊廟を望む ■
  
家茂夫人、皇女和宮(静寛院)霊廟を望む 徳川将軍家墓所、鋳抜門を望む
  
徳川将軍家墓所、鋳抜門を望む。旧国宝で文昭院殿霊廟(徳川家六代将軍家宣公)の宝塔前『中門』であったものを移築したものとのことです。(墓所内部より望む)
徳川将軍家墓所、鋳抜門の”昇り龍”を望む。
  
徳川将軍家墓所、特別拝観券です 徳川将軍家墓所、鋳抜門です 6代家宣夫妻の霊廟です 徳川将軍家墓所、入口から見た右側の様子です
 
 
  
 
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
 
           
後   記   
 増上寺については、東京タワーへ出かける時に近くをとおりましたが、なかなか参拝することはありませんでした。また増上寺の知識は徳川家のお墓がある程度でした。そもそも三解脱門の立派さから三解脱門を大門と思っておりました。

 参拝当日は結婚式が行われ、のんびりとした空気が流れておりました。参拝客は思いのほか少なく大半が外国人の観光客(拝観客)でした。ぶらぶらしているとあちらこちらからシャッター押しをたのまれたりとこんな感じの寺院でした。

 徳川家将軍墓所は、戦前は国宝に指定された壮麗な建物からなっていたとのことです。戦災で焼失した現在は、こじんまりとした場所に多少窮屈そうに霊廟が立ち並んでいました。これも歴史の流れなのかもしれません。

 増上寺については、近くにいった時にはもっと気軽に立ち寄って見たいと思いました。   
(2015/3/19)

 
 
”増上寺”境内の様子です。大殿と東京タワーを望む
  
増上寺旧方丈門(黒門)です。増上寺の方丈(庫裡)の表門であったので方丈門と呼ばれています。(東京都港区指定文化財)
  
 
増上寺旧方丈門(黒門)です。門全体が黒漆塗であったため黒門とも呼ばれていました。
江戸時代初期の特徴を示す様式から十七世紀後半のものと推測されています
増上寺全景、東京タワーより望む


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