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日本の歴史を訪ね歩く
 
    (近畿・中国地方の寺院・神社に参拝する)
  
  
  
第5集  山口県萩市 ”松陰神社” に参拝する
  
  
  
  
  
  
 ”松陰神社(山口県)” に参拝する
 
 松陰神社(萩市)
 (しょういんじんじゃ (はぎし))
 神社
 山口県萩市椿東
 (撮影 2013.04.28)
 松陰神社(しょういんじんじゃ)は、江戸時代末(幕末)の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする神社です。松陰の墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にあります。どちらも、学問の神として崇敬を受けています。

 山口県萩市椿東にあります松陰神社は、明治23年(1890年)、松陰の実家・杉家の邸内に松陰の実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀ったのが当社の創建とのことです。   (ウィキペディアより)
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松陰神社、本殿を望む 松陰神社境内を望む
 
 
 山口県 ”松陰神社” に参拝する
 
【松陰神社の由緒  − 松陰神社HPより −】

 松陰神社の御祭神、吉田矩方命(以下松陰先生)が殉節されてから31年後の明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。これが松陰神社の前身であります。

明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、このほこらを公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出されました。同年10月4日に、当時の社格制度の中で県社の社格をもって創建が許可され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿としました。萩城の鎮守で、当時廃社となっていた、宮崎八幡宮の拝殿を譲り受け移築するなど、境内の整備が進められました。  
(松陰神社HPより)

 
■ 松陰神社参道を望む ■
 
駐車場より、松陰神社を望む 松陰神社鳥居を望む
   
 ”松陰神社” 本殿にて
 
■ 松陰神社、本殿を望む ■
  
松陰神社、参道を進む 松陰神社、境内より本殿を望む
 
 ”松陰神社” に参拝する
   
■ 松陰神社、本殿に参拝する ■
  
■ 松陰神社、本殿を望む ■  
   
  
  
 松陰神社境内 ”吉田松陰幽囚の旧宅”にて
 
 
【国指定史跡 松下村塾・吉田松陰幽囚ノ旧宅】

 松陰神社境内には国指定史跡の松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅などが建ち並んでいます。

 吉田松陰は天保元年(1830)長州藩士杉百合之助の次男として生まれ、叔父の玉木文之進のもとへ養子に入り、文之進の開いた私塾で学問に励みました。
九州から東北まで周遊し見聞を広めると、浦賀に来航したペリー艦隊に小舟で乗り付け、留学を直訴。この一件で処罰され萩に幽閉されると、叔父の塾名を継ぐ松下村塾を開きました。
そして教育者として高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞など多くの維新志士を育てました。 


 
■ ”杉家旧宅(吉田松陰幽囚ノ旧宅)”より、松陰神社本殿を望む ■
 
 松陰神社境内 ”松下村塾” にて
  
■ 国指定史跡、松下村塾を望む ■
  
松陰神社境内、松下村塾を望む 松下村塾、全景です
  
 山口県 松陰神社 案内
  
【吉田松陰と松陰神社】
 松陰神社は幕末の思想家であり教育者であり、後の明治維新の原動力となった吉田松陰を祀っている神社です。明治40年(西暦1907年)伊藤博文らによって建立されました。

 萩は松陰の生誕地であり、松陰主宰の松下村塾は当時としては斬新な思考であった「尊皇攘夷」を旨とし、儒学や兵学などを始め、広範で多岐に渡る学問が教授され、ただ講義を聴くだけに止まらず、ディベートもくり広げられていました。安政の大獄により松陰が刑死するも、ここを巣立った多くの優れた人材が明治維新に寄与したのは周知の通りであります。
 松陰自身が教育に熱心であったことから、今なお、学問の神として崇敬を受け、観光客に限らず多くの受験生もここを訪れています。   
(山口穴場スポットNAVI 山口県の観光情報満載より)

  
  
■ 松陰神社鳥居を見る。   ※カーソルセットで神社の案内板が表示されます。  ■
 
陰神社境内にありますお土産屋さんです お土産屋さんには、萩名産の夏ミカンが売られていました
  
 松陰神社、手水舎を望む 松陰神社、神符授与所の様子です  本堂横にあります、”勧学堂”です 境内にある、茶室”花月楼”です
 
  
  
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
  
           
後   記   
 吉田松陰については、佐久間象山のもとで勉強し、伊豆下田港に再航したペリー艦隊に赴き、密航を訴えるが失敗し幕府により長州藩へ檻送され幽囚される。その後安政の大獄で死罪になった等は知っていました。特に密航のところ等はテレビドラマなどで放送されているので良く覚えていましたが、山口での生活や死罪後松陰がどうなっていたのかについては今回山口に行くまでは知りませんでした。

 吉田松陰が学問の神様として松陰神社になっていることは今回ガイドブックを見て初めてしりました。また、現地で松下村塾、松陰幽囚ノ旧宅を見て松陰の山口での生活の一端を理解することができました。吉田松陰の偉大さを改めて感じさせられました。東京の松陰神社にも参拝してこようと思います。   (2013/11/04)


 
 松陰辞世の句

     家族宛に『永訣書』を残しております 
“親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん” 
 


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