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 日本の歴史を訪ね歩く
    (奈 良 : 飛 鳥 路 、大 和 路)
  
  
    
[画像]   国の特別史跡 ”石舞台古墳” を訪れる
  
  
  
  
  
  
 奈良 飛鳥路 ”石舞台古墳” を訪れる
 
 石舞台古墳 (いしぶたいこふん)
 (飛鳥路)
 古墳 国の特別史跡
 奈良県 明日香村
 (撮影 2015.05.02)
 石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳です。国の特別史跡に指定されています。
 元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しています。わが国における代表的な方墳となっています。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されています。

 石舞台とは、天井席の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれていました。                
(ウィキペディアより)
(Size : 2,859KB) 
国の特別史跡、石舞台古墳を望む 石舞台古墳、巨大な石を望む



 ”石舞台古墳” に入場する
 
■ 石舞台古墳、入口です ■


入場券売り場です (大人一人250円(2015年5月現在)でした)
入場券売り場付近からの風景です
  
 


 国の特別史跡 ”石舞台” を望む(1)
 
■ 石舞台を望む(背面側です) ■
石舞台、背面を望む。沢山の家族連れが記念写真を撮っておりました
【石舞台古墳)】
 石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大級の方墳です。30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。 (国営飛鳥歴史公園HPより)
石舞台古墳、天井石の隙間から内部を覗いてみました
  


 石舞台古墳 ”石室内部” に入る
 
■ 石舞台古墳、石室への出入口です ■
  
石舞台古墳、石室内部:正面です
石舞台古墳、石室内部:天井部分です


【1933年 京都大学、奈良県の発掘調査】

 和8年(1933)と10年(1935)に京都大学と奈良県が共同で石舞台古墳の発掘調査を行いました。和8年の発掘調査では石室の学術調査が行われ、昭和10年の調査では外堤と周湟が調査されました。その結果、以下のことが明らかになったとのことです。

  •南西に開口している石室は、30数個の巨大な花崗岩を用いた両袖式横穴石室である。
  •石室の全長は19.1mである。
  •玄室の大きさは、長さ約7.6m、幅約3.5m、高さ約4.7m
  •羨道の大きさは、長さ約11.5m、幅約2.5m、高さ約2.4m
  •玄室の奥壁、側壁に排水溝を巡らし、溝は羨道の排水溝へ通じている。
  •玄室内より凝灰岩の破片が出土し、石棺の存在を示している。
  •墳形は、封土の大半を失っているため確定はできないが、2段の方墳か上円下方墳と考えられる。
  •墳丘下部は1辺が約51mの長さで、周囲に空濠を巡らせてある。             
(Don Pancho HPより)



  
     石舞台古墳、左:出入り口上部の写真です             中:この写真で内部の広さがわかります                右:天井部の写真です 
 石舞台古墳、石室出入り口より外部を望む


 石舞台古墳 ”出入口” を望む
 
■ 石舞台古墳、石室出入口全景です ■
  
石舞台古墳、入場券売り場反対側からの風景です
  
  
       左:石舞台への階段です              中:石舞台石室への出入口の写真です。右側が入口です         右:入場券売り場です
 


 国の特別史跡 ”石舞台” を望む(2)
 
■  石舞台古墳を望む  ■
  
復元された凝灰岩製の石棺を望む
石舞台古墳の観光風景です
石舞台古墳 ”貼石(手前の石)” を望む
石舞台古墳では、濠と墳丘の斜面には30~80㎝大の花崗岩の貼石が施されています


  国の特別史跡 ”石舞台古墳” 案内
 
【 過去の文献に見る石舞台古墳について 】  -国営飛鳥歴史公園HPより-
  
 石舞台古墳は古くから、墳丘上部の封土を失い、石室の天井石を露出させていたようで、各種の文献にそうした意味の記述を見ることができます。

 明和9年(1772)、本居宣長の「管笠日記」にもその記述があります。それに拠ると、石舞台古墳は、石舞台古墳の南に位置する都塚古墳と対として意識され、それぞれ推古・用明という各天皇の伝承を持っていたようです。
 文政12年(1829)の津川長道の「卯花日記」では、蘇我馬子の墓ではないかという考察が加わっています。
 嘉永元年(1848)の暁鐘成の「西国三十三所名所図会」の中ではイラストとともに、高さおよそ2間(約3.6m)、周囲およそ10間(約18m)で、天武天皇を仮に葬り奉った場所と伝えられている、という意味のことが記されています。


 
■ 石舞台古墳、祝戸地区・展望台方面を望む ■
  


  

  現地案内版です。◇上の写真にカーソルセットで拡大表示されます
  
石舞台古墳、駐車です 石舞台古墳案内板です。左方面が石舞台です 石舞台古墳、石室内部にて、広さがわかります 石舞台古墳はこの先右側にがありす
 
 
  
 
google!地図より google!地図より(■カーソルセットで写真表示) google!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
 
           
後   記   
 石舞台古墳には、漠然とした興味はありました。旅行前、ガイドブックなどで確認しました。やりり写真だけでは・・・。自分の眼で確認しないと納得できないと思いました。
  ・なぜあのような風景、形になったのか
  ・あの時代にどうやって造ったのか。

 入場券を購入し石舞台古墳に入場しまた、石舞台の大きさ異形(良形かな)には思わず、ウォーと声が漏れました。この丘陵地帯にこのような形で良く残ったものだと感心させらられました。個人的には、ものすごい遺跡と思いました。

 昔の人の知識、土木技術には関心させられました。しかし自然の力までは読み切れなかったのでしょう。石舞台を造り出したのは人間の力と後はすべて自然の力なのだと思いました。  (
2015/10/13)

 
 
石舞台古墳、正面を望む
  
石舞台古墳、石室出入り口を望む
石舞台古墳、背面を望む


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