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         日本の歴史を訪ね歩く
(撮影:2003年05月30日)
 
 
 信玄と謙信の決戦の場  ”川中島(かわなかじま)”     (長野県:長野市
 
 川中島は、長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名です。戦国時代にここで武田信玄と上杉謙信による川中島の戦いが行われたことで有名です。現在は川中島古戦場として観光名所になっています。「川中島」の呼称は武田信玄によるとされています。(ウィキペディアより)




  

 
 

 
 川中島古戦場
 川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいいます。最大の激戦となった第4次の戦いが千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれるようになりました。(ウィキペディアより)
   
  
 


 
 川中島古戦場 : 長野市八幡原史跡公園
 






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 川中島古戦場 案内 
 
 信濃国北部、千曲川のほとりには善光寺平と呼ばれる盆地が広がる。この善光寺平の南、犀川と千曲川の合流地点から広がる地を川中島と呼ぶ。当時の川中島は、幾つかの小河川が流れる沼沢地と荒地が広がるものの洪水堆積の土壌は肥えて、米収穫高は当時の越後を上回った。
 鎌倉時代から始まったとされる二毛作による麦の収穫もあって、河川は鮭や鱒の溯上も多く経済的な価値は高かった。古来から交通の要衝であり、戦略上の価値も高かった。武田にとっては善光寺平以北の北信濃から越後国へとつながる要地であり、上杉にとっては千曲川沿いに東に進めば小県・佐久を通って上野・甲斐に至り、南下すれば中信地方(現在の松本平)に至る要地であった。(ウィキペディアより)

  
Yahoo地図より (カーソルセットで地図が表示されます)    Yahoo地図より   
  
  

 1900年10月15日に初版が刊行された『鉄道唱歌』(大和田建樹作詞)では、川中島は以下のように歌われています。
なお、当時川中島駅は存在しなかったため、篠ノ井駅の隣は長野駅でありました。

27.屋代篠ノ井うちすぎて わたる千曲と犀川の 間の土地をむかしより 川中島と人はよぶ
28.ここに龍虎のたたかいを いどみし二人の英雄も おもえば今は夢のあと むせぶは水の声ばかり
                                                                 (ウィキペディアより)
  
  


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