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         日本の歴史を訪ね歩く
 
(撮影:2007年04月18日)
  

 会津西街道の宿場町  ”大内宿”
 
 大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町にある宿場町です。日光今市から会津若松に通じる旧会津西街道、別名下野街道、南山通りに沿った山間の平地にあります。江戸時代の宿場の雰囲気をよく残しており、街道沿いには茅葺き民家も見られ、大内宿本陣跡には大内宿町並み展示館があります。(ウィキペディアより
 
 
 
 
 

 重要伝統的建造物群保存地区に選定 ”大内宿”
 
 全長約450mの往還に沿って、道の両側に妻を向けた寄棟造、茅葺の民家群がほぼ等間隔に建ち並んでおり、伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているものとして、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。(福島・会津 観光案内HPより
 
 
重要伝統的建造物群保存地区
 1981年(昭和56年)4月18日に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。宿場町としては長野県の妻籠宿、奈良井宿に次いで、全国で3番目であります。(福島・会津 観光案内HPより)


 
 
 
 

 昔懐かしの風景 ”大内宿”
 
  大内宿は、江戸時代の宿場の面影を今もそのままに残している山間集落です。街道は会津西街道、南山通りまたは下野街道と呼ばれ、 会津若松と日光今市を結ぶ重要な道でした。藁葺き屋根の宿、お土産屋、蕎麦屋等が立ち並び、会津でも有数の観光スポットとなっています。
通りは舗装の無い砂利道。路傍を流れる用水路の水はとてもきれいで冷たい。 (福島・会津 観光案内HPより)
  


 会津若松と日光・今市を結ぶ宿駅 ”大内宿”
 
 下野街道は、会津藩が隣国へ通じる際の本道五街道(下野街道、白河街道、越後街道、二本松街道、米沢街道)のひとつで、会津若松城下から日光神領地今市宿までの総延長32里(132km)の街道です。
豊臣秀吉、伊達政宗、藩祖保科正之(徳川家光の弟)、吉田松陰、イザベラ・バード(英国の女性旅行家)など多くの歴史上の人物が往来しています。
(福島・会津 観光案内 HPより)

 
 
 
大内宿の特徴
 大内宿の特徴としては、寄棟造りの建物が道路と直角に整然と並べられていることであります。以前は、会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅のひとつとして栄えた宿場町でした。

規模 : 屋敷13.167ha/建坪55.77a
(じゃらんNet HPより)
 
 

 
 

 名物のねぎ蕎麦を食べる
 
 
 箸の代わりにネギ一本で食べる「ねぎそば」。ねぎで麺をすくって食べ、ねぎを薬味としてかじって口直しできます。 ちょっと風変わりな料理です。 (じゃらんNetHPより)
 箸も有りますので、安心して食べられます。
 
 
 
 
 
 
 
 

 会津西街道(下野街道) ”大内宿” 案内
  
 
 静かな山間の昔懐かしい風景を楽しめるところです。
最近はテレビの旅番組などでも多く登場する場所で、会津を代表する観光スポットになりました。この地方の名物のねぎ蕎麦や囲炉裏で焼いた岩魚などを味わいながらの散策は大変楽しいところです。
(会津高原リゾートHPより)
 
 
 
■Zoom(現地案内板) 
 
 
 
 
 
 
 
Yahoo!地図より ■Zoom ■Zoom
 
 
 
 
後 記
 
 
テレビで”ねぎ蕎麦”の食べるシーンを見て、いつか一度は行きたいと思っていました。
大内宿へは、車で行きましたが、思いのほか、山の深い所に有りビックリしました。
 茅葺屋根の町並みに、綺麗な水が流れ、とても好感が持てました。早速、念願の”ねぎ蕎麦”をいただきました。ねぎの食べる量とかタイミングとか、食べ方を色々と工夫しながら、おいしくいただくことができました。あまりの
 ねぎは太からず、細からず準備するのは大変だろうな、年間何本使うのだろうかと余分なことを考えてしまうのは私だけでしょうか。

 


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