Ver.4-840 
日本の歴史を訪ね歩く
   (日本の歴史・日本のふるさとを歩く)
[画像]  (No.3)  播州赤穂 ”大石神社” に参拝する
大石神社を望む  
 忠臣蔵の義士を祀る 赤穂”大石神社” に参拝する
 赤穂大石神社 (あこうおおいしじんじゃ)
 神社  
 兵庫県 赤穂市上仮屋旧城内 
 (撮影 2010.03.13)
 大石神社(おおいしじんじゃ)は、『忠臣蔵』のモデルである元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂義士を祀る神社です。江戸時代には幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、明治元年(1868年)、明治天皇が赤穂義士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし義士たちを弔って以降、赤穂と京都に義士を祀る神社が創建されました。   (ウィキペディアより)
(Size: 955KB) 赤穂大石神社 山門を望む 赤穂大石神社 本堂を望む
 赤穂”大石神社” 山門を望む
赤穂大石神社 山門を望む
駐車場から観音正寺への入口 駐車場からは長い階段が続きますです
 赤穂”大石神社” 本殿を望む
 【大石神社の創建】

 元禄赤穂事件以降、義士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていました。1900年(明治33年)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工しました。1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格されています。   
(ウィキペディアより)
大石神社本殿・拝殿を望む
本殿にて 本殿近くにて
 赤穂”大石神社”にて
【大石神社のご祭神】

 大石神社のご祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀してあります。   
(赤穂大石神社HPより)
大石神社本殿前より山門を望む
忠臣蔵・赤穂大石神社義士史料館を望む 境内社合祀殿を望む
 大石神社鳥居前に並ぶ”赤穂四十七士”の石像
■ 大石神社鳥居前に並ぶ赤穂四十七士の石像が見えます。 ■
山門前に並ぶ四十七士の石像   大石内蔵助の石像
 忠臣蔵と大石神社
【忠臣蔵】

 元禄14年(1701)春3月、江戸城中松の廊下で勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、指南役の高家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶという一大事件が起こった。長矩は将軍綱吉の独裁をもって即日切腹、浅野家は取り潰しとなる。 これが第一の事件である。

 元禄15年(1702)12月14日の夜、長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七義士が吉良屋敷に討入り見事主君の怨みを晴らし幕府の失政に一矢を酬いる事件が起こった。
 そして2ヵ月後の2月4日義士達は武士の最高の名誉である切腹という処分をうけることにより劇的な終焉を遂げた これが第二の事件で、この2つの事件を合わせたものが「忠臣蔵」である   
(赤穂大石神社HPより)
■ 本殿の手すり ■
 ”大石神社” 案内
 【境内社合祀殿】

 境内には浅野家時代より藩民の崇敬をうけた古社が多くあって、赤穂築城の軍師であり義士に兵学を教授した山鹿素行命を祀る山鹿社、学問書道上達の神天満宮、塩田の守護神である八田社、その他恵比寿社、国助稲荷、淡島社、忠魂社の七社が点在していたが平成12年境内社合祀殿として一ヶ所に合祀した。
 また大石邸庭園には元禄7年大石内蔵助が主君長矩に従って備中松山城請取りに際し、その大任を祈願するため笠間より勧請した大石稲荷社が鎮座している。 
      (赤穂大石神社HPより)
境内にある恵比寿様です
■石碑義士発祥之地 ■大願成就
  
大石神社への案内版です(播州赤穂駅前にて)  大石邸長屋門を望む 大石神社駐車場にて 大石神社隣にある大石内蔵助邸庭園 四十七士の石像 境内にある恵比寿様です
Google!地図より ■カーソルセットで航空写真を表示します。 ■カーソルセットで航空写真を表示します。
後  記
 忠臣蔵の四十七士がこういう形で、祀られていることは思ってもおりませんでした。毎年年末になると忠臣蔵は必ずTV放映があり、繰り返されています。主君への忠義は日本人の心を揺さぶります。
 地元でこういう形で大事にされ続けられていることに、日本人の一人として感銘を受けました。これも日本的なのだーとつくづく感じられました。
  (2011.06.15)
 


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