Ver 5.1-840 
日本の歴史を訪ね歩く
  (日本の歴史・日本のふるさとを歩く)
[画像]  ”白河関跡” を訪れる
     
  
 


 福島県白河市 ”白河関跡” を訪れる
 白河関跡
 (しらかわのせきあと)
 史跡  
 福島県 白河市 
 (撮影 2012.10.27)
 白河の関(しらかわのせき)は、鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奥州三関の一つに数えられる関所である。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として史上名高い。

福島県白河市旗宿がその遺構として認定されている。国の史跡に指定されている。   (ウィキペディアより)
(Size: 1,647KB) 白河神社参殿を望む 白河関跡を望む



 奥州三関の一つ ”白河関跡” を望む

【白河関の場所】


 白河関は、ヤマトの軍事的要衝としての機能は平安中期には解消したものと考えられています。源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす奥州合戦の際に、頼朝が白河に達した時に、梶原景季に歌を詠むよう命じると、

     「秋風に草木の露をば払わせて、君が越ゆれば関守も無し」

と詠んだ。

白河関跡は、1960年代の発掘調査の結果、土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出、1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定されました。   
(ウィキペディアより)

白河神社の入口を望む
白河神社前の広場を望む 白河神社、参道入口です
 ”白河関跡” の風景(1)
 【古関蹟の碑】

 白河関は、関の廃止の後、その遺構は長く失われ、その具体的な位置も分からなくなっていました。寛政12年(1800)に白河藩主松平定信が考証の結果、空堀・土塁が残る現在地が白河の関であると断定して「古関蹟」の碑をこの地に建てました。  
(白河市HPより)

松平定信による古関蹟(■カーソルセットで写真がアップします)
”古関蹟”の現地案内板です 白河神社参道


 白河関跡を境内とする ”白河神社”
”白河神社”を望む
白河神社の境内の様子です 白河神社 ”参殿”を望む
 ”白河関跡” の風景(2)
白河神社の境内に平安時代の和歌が紹介されています 
 
 
 白河関跡 樹齢約800年 ”従二位(じゅにい)の杉”
■ ”従二位の杉” を望む。 『鎌倉前期の歌人、従二位藤原宮内卿家隆が手植えし、奉納したと伝えられる老木である。
推定樹齢約ハ百年、周囲約五メートル。』 ■
浄土宗西山派の祖、証空上人(1177〜1247)の御詠の碑 
 (■カーソルセットで歌碑がアップが表示されます)   
生命の力に圧倒されそうな ”従二位の杉” を望む
 (■カーソルセットで現地案内板が表示されます)
白河神社の参殿です 神社の横にありました。何は不明です 白河関の空堀跡です 奥の細道白河の関碑
 


  ”白河関跡”  案内
【 歌枕としての白河関   】

 白河関は、人や物資の往来を監視するための関で、奈良・平安時代頃に機能していたと考えれます。廃関後は「歌枕」として、能因・西行の和歌や「奥の細道」などの文学作品に詠まれています。     (現地案内板より)

隣接する、森林公園の様子です (■カーソルセットで現地案内図が表示されます)
白河関跡の近辺は、のどかな山村のイメージです 隣接する森林公園方面を望む
白河関跡(神社)の駐車場です 神駐車場の公園から白河関跡を望む  ”白河神社、ご朱印所です  白河関跡に向う
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真の表示 ■カーソルセットで航空写真の表示
後  記

 白河の関は、高校時代の恩師(古文担当)がことあることに和歌をひきあいに話をしてくださった。その関係で頭の隅にズート残っておりました。
 関跡は来るまでは観光地化され賑やかな所と思っておりましたが、巨大杉が鎮座する神社の中でひっそりと時をすごしてきた場所でした。


 帰り際に草ぼうぼうの箇所に丸橋があり何かなと思い行ってみるとここは本来きれいな公園であることがわかりました。「公園利用者のみなさまへ」の看板を見て、改めてフクシマのおかれているいる現実を目にしました。   
(2012.12.16)
 

震災から一年半、フクシマの現実です
 



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