Ver 6.1
  
 

 日本の歴史を訪ね歩く
    (奈 良 : 飛 鳥 路 、大 和 路)
  
  
    
[画像]  奈良 ”飛鳥路・大和路” を散策する
  
  
  
  
  
  
  

  
 ”當麻寺” に参拝する
 
 當麻寺 (たいまでら)
 (大和路)寺院・仏閣
 奈良県 葛城市
  (撮影 2015.05.02)
 當麻寺(たいまでら)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院です。(法号は「禅林寺」。山号は「二上山」)

 創建時の本尊は弥勒仏(金堂)ですがが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)となっています。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっています。開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされていますが、草創については不明な点が多いとのことです。  (ウィキペディアより
 ぼたんの花を期待して行きましたが、時期が若干遅く残念でした。それでも遅咲きの花が咲いていましたので良しとしました。
 
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當麻寺、三重塔(西塔)を望む 国宝、當麻寺本堂(曼荼羅堂)を望む
 




  
 ”當麻寺 奥之院” に参拝する
 
 當麻寺奥之院
 (たいまでら おくのいん)
 (大和路)寺院・仏閣
 奈良県 葛城市
  (撮影 2015.05.02)
 當麻寺塔頭奥院は 、浄土宗総本山知恩院の『奥之院』として建立された寺で、最初は往生院と呼ばれていました。知恩院第十二代誓阿普観上人が知恩院のご本尊として安置されていた法然上人像(重文)を後光厳天皇の勅許を得て応安三年(1370)当地に遷座して建立した寺で爾来、浄土宗の大和本山として多くの人々の信仰を集め、今日まで護持継承されて来た名刹です。  (奈良県ビジターズビューローHPより

 當麻寺三重塔の西塔、東塔を一望に眺めの雄大な場所でした。お花が沢山咲き美しい寺院でした。
 
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當麻寺奥之院より、三重塔(西塔・東塔)を望む 當麻寺奥之院、浄土庭園を望む
 



  
 国の特別史跡 ”高松塚古墳” を訪れる
 
 高松塚古墳
 (たかまつづかこふん)
 (飛鳥路)
 古墳 国の特別史跡
 (1973(昭和48)年指定)
 奈良県 高市郡明日香村
 (国営飛鳥歴史公園内)
  (撮影 2015.05.02)
 高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳です。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳です。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになりました。
 2009年に本来の形状に復元され、一般に公開されています。     (ウィキペディアより
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高松塚古墳を望む 高松塚壁画館前にて、入場券とパンプレットです
 



  
 本尊は聖徳太子 ”橘寺” に参拝する
 
 橘寺 (たちばなでら)
 (飛鳥路)
 寺院
 奈良県 高市郡明日香村
  (撮影 2015.05.02)
 橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院です。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音です。
 橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するとのことです。

 橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立七大寺の1つとされています。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わっています。   (ウィキペディアより)  

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橘寺を望む(河原寺方面より) 橘寺、本堂(太子殿)にて
 



  
 飛鳥路 謎の大寺院 ”川原寺” に参拝する
 
 川原寺(かわらでら)
 (飛鳥路)史跡
 寺院
 奈良県 高市郡明日香村
  (撮影 2015.05.02)
 川原寺(かわらでら)は、飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に所在した仏教寺院です。現在は金堂跡に弘福寺(ぐふくじ)が建てられています。
 飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院でしたが、中世以降衰微した。川原寺跡は国の史跡に指定されており、現在はかつての中金堂跡に川原寺の法灯を継ぐ真言宗豊山派の寺院・弘福寺が建っています。   (ウィキペディアより)

 建立の経緯いまだ不明の謎多き、巨大寺院とのことです。  

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川原寺、中門跡を望む 川原寺、史跡碑を望む
 



  
 国の特別史跡 ”石舞台” を訪れる
 
 石舞台古墳 (いしぶたいこふん)
 (飛鳥路)
 古墳 国の特別史跡
 奈良県 明日香村
 (撮影 2015.05.02)
 石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳です。国の特別史跡に指定されています。
 元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しています。わが国における代表的な方墳となっています。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されています。

 石舞台とは、天井席の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれていました。                
(ウィキペディアより)
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国の特別史跡、石舞台古墳を望む 石舞台古墳、巨大な石を望む
 



  
 日本最古の寺院 ”飛鳥寺” に参拝する
 
 飛鳥寺 (あすかでら)
 (飛鳥路) 国指定史跡
 寺院 (日本最古の寺院)
 奈良県 高市郡明日香村
  (撮影 2015.05.02)
 飛鳥寺(あすかでら)は奈良県高市郡明日香村にある寺院です。蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身であります。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子であります。

 本尊飛鳥大仏(釈迦如来像)は、年代のわかる現存の仏像では日本最古のものと言われています。
                
(ウィキペディアより)
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飛鳥寺境内を望む 日本最古の仏像、飛鳥大仏を望む
 



  
 奈良 ”飛鳥路、甘樫丘” を散策する
 
 飛鳥路 (あすかじ)
 酒船石遺跡、亀形石造物、甘樫丘
 (飛鳥路)
 石造物、他
 奈良県 高市郡明日香村
  (撮影 2015.05.02)
  ”あすか”飛鳥は地名としては奈良県高市郡明日香村として限られていますが、昔からいわれている“あすか地方”とはもっと広く、大和平野の東南にあたる丘陵地一帯を指し、飛鳥川流域から大和三山(畝傍山・香久山・耳成山)に囲まれた地域をも含む総称でした。
  中心地域はやはり明日香村であり、ここには縄文時代からの遺跡と、その上に築かれた飛鳥時代の遺跡とが、重なり合って存在している所です。現在の明日香村は、戸数2,000戸、人口約6,500人の農村で、総面積2,400ヘクタールすべてが歴史的風土保存地域、風致地区などに指定された村で、貴重な遺跡や埋蔵文化財の宝庫といわれています。

  “あすか”という地名のいわれについては、古墳時代からわが国に移住した、おびただしい数の渡来者たちが、さすらいの果てに得た安住の地であるという意味で、「安宿」と名づけたのが転じたといわれ、さらにその枕詞に使われていた「飛鳥」をも“あすか”と読ませることになったという説が立てられています。   (古都飛鳥保存財団HPより)  
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甘樫丘より、飛鳥京跡を望む 飛鳥路、亀形石造物を望む
 


  
  
  
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