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        日本の名勝地を訪れる
   
(撮影:2004年10月10日)


 日本三名園の一つ ”兼六園            (石川県:金沢市)
 

 兼六園けんろくえん)は、石川県金沢市にある日本庭園です。広さ約3万坪、江戸時代を代表する池泉回遊式庭園としてその特徴をよく残しています。
 国の特別名勝に指定され、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つに数えられています。
(ウィキペディアより)

         
 



 加賀藩の大名庭園 ”兼六園”
 兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています(石川県金沢城・兼六園管理事務所HPより)
 
 
 



 築山・林泉・廻遊式庭園の ”兼六園”
 

 兼六園は、「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。廻遊式とは、寺の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山(つきやま)を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。いくつもの池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われています。(石川県金沢城・兼六園管理事務所HPより)

  
  松根上りの松(ねあがりのまつ)
 何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初の作庭者、5代藩主・綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。石川県金沢城・兼六園管理事務所HPより)
 
 
  竜石
 



 兼六園は1676年「連池亭」から始まる
 
 
 
 延宝4年(1676)、加賀藩5代藩主前田綱紀(つなのり)が金沢城に面する傾斜地に別荘を建て、その周辺を庭園にしました。これが現在の兼六園の礎であり、当時は「蓮池亭(れんちてい)」と呼ばれていました。しかし宝暦9年(1759)の大火で、蓮池庭のほとんどが消失してしまいました。安永3年(1774)11代藩主治脩(はるなが)は再建に着手し、まず翠滝(みどりたき)や夕顔亭を、安永5年(1776)には内橋亭を造り、整備を完了させました。




  霞ヶ池と内橋亭
 
 霞ヶ池(かすみがいけ)は、兼六園の中心部にある、約5800平方メートルの池です。眺める位置によって異なった様相を見せ、園内では一番大きい池です。カモやサギが羽を休め、鯉などの魚が泳ぐ姿は優雅です。池の中には蓬莱島という亀の形をした島が浮かびます。見どころがこの池の周辺に配されています。散策の際はこの池を中心に回るとよいと思います。
 



 ”兼六園” の案内図  
 

 兼六園は藩主の庭でありましたが、維新の後、明治7年(1874)に一般市民に全面開放され、多くの茶店が出店しました。大正11年(1922)には国の名勝に指定され、昭和60年(1985)には庭園の国宝ともいえる「特別名勝」に格上げされました。
 平成12年(2002)年には「時雨亭(しぐれてい)」と「舟之御亭(ふなのおちん)」が再現されるなど、名園の整備・改善が現在でも受け継がれています。(兼六園観光協会HPより)

 
Yahoo地図より       
 
 
 
 兼六園は、廻遊式庭園ということで、本来は季節季節に応じてコース、見る順番などが有ると思います。今回は天気が余り良くなかったこと、混雑していたことで、人の流れに従って散策してしまい、本来の良さを味わいそこねてしまったのは、残念であった。
 次は、機会が有ったら雪の兼六園を見てみたい。
 


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