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  ( ト ル コ 共 和 国 )
  
  
 
第1集  イスタンブール ”ボスポラス海峡クルーズ” を楽しむ (1/2)
  


ボスポラス海峡入口より、イスタンブール旧市街を望む
  
  
  
 
 


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 1.イスタンブール ”ボスポラス海峡クルーズ” を楽しむ
 ボスポラス海峡
 (ボスポラスかいきょう)
 海峡クルーズ
 トルコ共和国
 イスタンブール県イスタンブール市 
 (撮影 2010.11.01)
 (作成 2021.06.29)

 ボスポラス海峡(ボスポラスかいきょう)は、トルコのヨーロッパ部分(オクシデント:Occident)とアジア部分(オリエント:Orient)を隔てる海峡です。両岸にはトルコ最大の都市イスタンブールがあります。

 南北に細長く、北は黒海、南はマルマラ海で、マルマラ海とエーゲ海を繋ぐダーダネルス海峡とあわせて黒海と地中海を結ぶ海上交通や活動の要衝をなしています。長さは南北約30キロメートル、幅は最も狭い箇所で698メートル、最も広い地点で3700メートル、水深は36メートルから124メートルです。両岸の全域はイスタンブール市の行政区内で、南側のマルマラ海への出口の西岸、金角湾との間の地がビュザンティオン、コンスタンティノポリスの故地であるイスタンブール旧市街です。
          (ウィキペディアより)


(Size : 24,083KB) イスタンブール旧市街を望む。右端は「トプカプ宮殿」です ボスポラス海峡、「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」を望む
  




 2.イスタンブール アジア(アナトリア)側 ”ハイダルパシャ港” にて



イスタンブール アジア(アナトリア)側に有ります、ハイダルパシャ駅前にて


ハイダルパシャ駅前には蒸気機関車が飾られています アジア側に有ります、ハイダルパシャ駅にて
< ボスポラス海峡の歴史について >  

 ボスポラス海峡は、黒海とマルマラ海を結ぶ海峡です。南北に細長く、全長約30km、幅は最も狭いところで698m。マルマラ海からダーダネルス海峡を経てエーゲ海に抜けます。
 古来アジアとヨーロッパの接点にあり、交通の要衝として重要視されてきました。ギリシア人が植民してビザンティオンを建設し、後にはローマ帝国の都コンスタンティノープルとなります。さらに東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の都として繁栄しました。また小アジアに起こったオスマン帝国はこの海峡を渡ってバルカン進出をはたし、アジアとヨーロッパにまたがる帝国を建設しました。オスマン帝国は1453年にビザンツ帝国を滅ぼし、その後コンスタンティノープルはイスタンブルと呼ばれるようになりました。




イスタンブール アアジア(ナトリア)側に有ります、ハイダルパシャ駅を望む
ハイダルパシャ駅は、オスマン帝国の終末期1906年完成したアジアの終着駅です。アンカラなどアナトリア方面への特急・急行や寝台列車、市内線が発着しています 




ハイダルパシャ駅の時計です ハイダルパシャ駅を望む ハイダルパシャ駅最上部のアップです ハイダルパシャ駅、構内の様子です
     
google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示)
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます
   
  (後 記)  
       
   ボスポラス海峡クルーズは、イスタンブールアジア側のハイダルパシャ港から出発しました。当日は、アンカラからの寝台車で朝ハイダルパシャ駅に到着し、その足でクルーズへの出発です。
 到着したハイダルパシャ駅は オスマン帝国の終末期に完成した駅で、歴史を感じさせる駅でした。またクルーズ船から眺めた駅は均整のとれた、とても美しく迫力がありました。

 アジア側のハイダルパシャ港を出港しボスポラス海峡の入口、マルマラ海から眺めたイスタンブールの旧市街は壮観でした。世界文化遺産に登録されている、ブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿が海から一望することができました。三つの世界遺産を並んで見れるのは、とても素晴らしい眺めでした。

 また海峡沿いには、歴史的建造物のモスク、宮殿、城塞と続き、飽きることなく観賞することが出来ました。
          
(2021.06.29)

 
     



アジア(アナトリア)側に有ります、「ハイダルパシャ駅」を望む
駅は、海の埋め立てのため1100本の木の杭を打たれた基礎の上に建てられ、三方向が海に面しています 


googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
■ 画像クリックでgoogle Map3Dが表示します ■



ハイダルパシャ駅を望む



ハイダルパシャ駅近くにあります「ハイダル パシャ モスク」です
 





  3.ボスポラス海峡 ”イスタンブール旧市街” を望む



クルーズ船より、イスタンブール旧市街を望む。左より、「ブルーモスク」、「アヤソフィア」、「トプカプ宮殿」です。右端は「リュステム・パシャ・モスク」です
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



クルーズ船より、「ブルーモスク」、「アヤソフィア」を望む



クルーズ船より、「ブルーモスク」を望む



「トプカプ宮殿」を望む



左より、「ブルーモスク」、「アヤソフィア」、「トプカプ宮殿」です



ボスポラス海峡、アジア(アナトリア)側を望む



ボスポラス海峡、アジア(アナトリア)側を望む
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  4.イスタンブール ”ボスポラス海峡” にて (1)



ボスポラス海峡より、イスタンブール新市街を望む。左端に「ガラタ塔」が見えます



ボスポラス海峡、アジア側を望む。左端は「乙女の塔」です



ボスポラス海峡、イスタンブールヨーロッパ側を望む



イスタンブールヨーロッパ側、「ドルマバフチェ・モスク(Dolmabahçe Mosque)」を望む
オスマン帝国の31代スルタンの母、ベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタンが出資し、1853年から1855年にかけて建設されたモスクです 
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



ボスポラス海峡アジア(アナトリア)側、「乙女の塔(クズ塔)」を望む
乙女の塔はビザンツ時代の紀元前28年から建っていて、もともとは灯台として使われてきました



ボスポラス海峡、「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」を望む。右側に見えるのは「乙女の塔(クズ塔)」です
   
 





  5.ボスポラス海峡 ”クルーズ船” にて



クルーズ船、「トゥリョル(TURYOL)GULER Ⅳ」にて



クルーズ船は、ツアーで貸し切りでした。船内の様子です



チャイのサービスが有りました



クルーズ船にて



クルーズ船にて



クルーズ船にて
 
  6.イスタンブール ”ボスポラス海峡” にて (2)



ボスポラス海峡、「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」を望む



ボスポラス海峡、アジア(アナトリア)側を望む



ボスポラス海峡、ヨーロッパ側を望む。左側にドルマバフチェ・モスクが見えます



ボスポラス海峡、ヨーロッパ側を望む


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ボスポラス海峡、ヨーロッパ側を望む



海辺に建つ、「ドルマバフチェ・モスク(Dolmabahçe Mosque)」を望む



ドルマバフチェ・モスク(Dolmabahçe Mosque)です


ボスポラス海峡、ヨーロッパ側です


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ドルマバフチェ宮殿を望む
ドルマバフチェ宮殿は、西洋のバロック様式と伝統的なオスマン様式を取り入れた壮麗な宮殿です



オスマン帝国の王宮だった「ドルマバフチェ宮殿」を望む
1843年に着工され1856年に完成して以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されていました 
 



「ドルマバフチェ宮殿」を望む 
ドルマバフチェとは埋め立てられた庭園という意味とのことです



ボスポラス海峡、ヨーロッパ側です



5つ星宮殿ホテル「チュラーン パレス 」ケンピンスキーホテルを望む
第32第オスマン帝国スルタン・アブデュルアズィズによって1872年に完成し、スルタンの私邸として利用されていました



「チュラーンパレス」を望む
1910年に火災で廃墟となり、1987年に熊谷組が買い取りホテルとして改装、1990年にドイツの「チュラーン パレス ケンピンスキー」としてオープンしています



宮殿ホテル「チュラーン パレス ケンピンスキーホテル」を望む



ガラタサライ大学(GALATASARAY UNIVERSITESI)を望む


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ボスポラス海峡ヨーロッパ側、ガラタサライ大学(GALATASARAY UNIVERSITESI)を望む
ガラタサライ大学の建物は、1871年オスマン帝国のアルメニア人建築家サルキスバリアンによって建てられました






  7.ボスポラス海峡 ”7月15日殉教者の橋(第一ボスポラス大橋)” にて



ボスポラス海峡、7月15日殉教者の橋(第一ボスポラス大橋)を望む



ボスポラス海峡、オルタキョイ モスクを望む。その後方は、7月15日殉教者の橋(第一ボスポラス大橋)です



ネオ・バロック様式のモスク「オルタキョイ」を望む



「7月15日殉教者の橋(第一ボスポラス大橋)」、ヨーロッパ側を望む
全長 - 1,510m、中央支間長 - 1,074m、幅員 - 39m(6車線)、高さ - 64m、主塔の高さ - 105mのヨーロッパ側とアジア側を結ぶ橋です 



「7月15日殉教者の橋(第一ボスポラス大橋)」、ヨーロッパ側を望む



「7月15日殉教者の橋(第一ボスポラス大橋)」の通過です



「7月15日殉教者の橋(第一ボスポラス大橋)」、ヨーロッパ側を望む
1973年建造、一番最初にできたアジア側とヨーロッパ側をつなぐ長さ1,560mの吊り橋です 



1877年建造の歴史あるモスク、「オルタキョイ・メジディエ・モスク」を望む



ボスポラス海峡クルーズ船より、「オルタキョイ・メジディエ・モスク」を望む






  8.ボスポラス海峡にて



「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」、アジア側を望む



「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」付近では、沢山の船が漁をしていました



「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」を望む。左側はアジア側、右側がヨーロッパ側です



ボスポラス海峡、ヨーロッパ側を望む




ボスポラス海峡にて



ボスポラス海峡、「ファティフ・スルタン・メフメット大橋(第2ボスポラス大橋)」を望む



クルーズ船より、「ファティフ・スルタン・メフメット大橋(第2ボスポラス大橋)」を望む




  お気に入り写真



イスタンブール市カドゥキョイにあります「ハイダルパシャ駅」を望む



「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」、アジア側を望む。沢山の船が漁をしています



「7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋)」を望む。橋の近くに「ベイレルベイ宮殿」が望めます



1877年建造のモスク、「オルタキョイ・メジディエ・モスク」を望む



歴史あるモスク、「オルタキョイ・メジディエ・モスク」を望む





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