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  ( 日 本 100名 城 東 北 地 方 )
  
  
 
第1集  宮城県多賀市 「多賀城跡附跡(多賀城廃寺跡)」 を訪れる 
  


多賀城廃寺跡、「金堂跡」を望む
  
  
  
 
 




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【 目 次 】
 1.宮城県多賀市 特別史跡「多賀城跡附寺跡」(多賀城廃寺跡)を訪れる
 2.多賀城廃寺跡 「駐車場側入口」にて

 3.多賀城廃寺跡 「中門跡側入口」にて
 4.多賀城廃寺跡 「中門跡」にて
 5.多賀城廃寺跡 「三重塔跡」にて
 6.多賀城廃寺跡 「金堂跡」にて
 7.多賀城廃止跡 「講堂跡・鐘楼跡・・」にて
 8.多賀城廃寺跡 隣接の「多賀神社」にて
 お気に入り写真
  1.宮城県多賀市 特別史跡「多賀城跡寺跡」(多賀城廃寺跡)を訪れる
 多賀城跡寺跡(多賀城廃寺跡)
 (たがじょうあとつけたりてらあと(たがじょうはいじあと))


 特別史跡 
 日本100名城 7番目
 (宮城県) 
 〒985-0862
  宮城県 多賀城市高崎
 (撮影 2022.04.20)
 (作成 2022.05.25)

 「多賀城跡附寺跡(多賀城廃寺跡)」は、宮城県多賀城市高崎にある国の特別史跡です。多賀城跡からは南東に約1㎞の低い丘陵に上にあります。
 仏教の力で東北地方の安定を図るため建てられた多賀城跡の付属寺院で、多賀城跡と同時に創建されました。
 講堂を正面とし、東側に三重の塔、西側に金堂を配置し、築地塀で囲んでいます。このような配置は、多賀城跡の前身である仙台市郡山遺跡の付属寺院である郡山廃寺や大宰府の付属寺院である観世音寺と似ています。さらに、北外側には僧坊や子房、経楼や倉庫がありました。
 2㎞ほど西側で、万灯会(まんとうえ)で使われた多量の土器とともに「観音寺」と墨書された土器が発掘され、多賀城廃寺は当時「かんのんじ」または「かんぜおんじ」という名前であったと考えられています。
 多量の瓦の他に、陶塔や泥塔、粘土製の仏像の破片などの仏教に関連する遺物も発見されています。
                  (宮城県多賀城跡調査研究所HPより)
(Size : 66,393KB) 多賀城廃寺跡、「三重塔跡」を望む 多賀城廃寺跡、「講堂跡」を望む
  





  2.多賀城廃寺跡 「駐車場側入口」にて



多賀城廃寺跡、「特別史跡 多賀城跡寺跡」碑を望む。後方は駐車場です
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多賀城廃寺跡にて

多賀城廃寺跡、「特別史跡 多賀城跡寺跡」碑を望む
< 多賀城廃寺跡について > 
 奈良時代初期から平安時代頃まで多賀城の附属寺院として栄え、東北地方の安定と国家の平和を祈った寺で、福岡県太宰府市にある大宰府の附属寺院・観世音寺に似ています。この寺の名前は記録に無いのでわかりませんが、「多賀城」に附属することから「多賀城廃寺」と呼んでいます。昭和58年に山王遺跡から「観音寺」と墨で書かれた土器が発見されたことから、この寺院が観音寺という名称であったことが考えられています。遺構の保存がよく、伽藍配置などから、大正11年に国の史跡、昭和41年に特別史跡に指定されております。      (笑顔咲くたび・伊達な旅HPより)



多賀城廃寺跡、駐車場入口側より「講堂跡」方面を望む
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google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示) Google!地図より(■カーソルセットで写真表示)
◆クリックでGoogle Mapが表示されます



駐車場入口側にあります「多賀城廃寺跡の現地説明板」です





多賀城廃寺跡、「特別史跡 多賀城跡寺跡」の現地説明板です



多賀城廃寺跡、「講堂跡」方面を望む
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多賀城廃寺跡、現地説明板の「多賀城廃寺伽藍配置図」です
「講堂跡」は配置図より伽藍の中心にあります



googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
■ 画像クリックでgoogle Mapが表示します ■



多賀城廃寺跡、「特別史跡 多賀城跡寺跡」の説明板です。
説明板は、多賀城跡の「多賀城市役所 多賀城跡管理事務所」横にありました



「多賀城跡廃寺跡」にて
 





  3.多賀城廃寺跡 「中門跡側入口」にて



多賀城廃寺跡、中門側入口にて
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多賀城廃寺跡、中門側入口にあります「史蹟多賀城阯附寺阯」碑を望む



多賀城廃寺跡、中門側入口を望む



多賀城廃寺跡、中門側入口にて



多賀城廃寺跡、中門側入口を望む



多賀城廃寺跡、「中門跡」方面を望む
  4.多賀城廃寺跡 「中門跡」にて



多賀城廃寺跡、「中門跡」の後方を望む。昔の参道の様にも見えます



多賀城廃寺跡、「中門跡」を望む



多賀城廃寺跡、「中門跡」にて
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多賀城廃寺跡、「中門跡」にある現地案内板「多賀城廃寺復元図」のアップです



多賀城廃寺跡、「中門跡」にある現地案内板です
   





  5.多賀城廃寺跡 「三重塔跡」にて



多賀城廃寺跡、「中門跡」より「講堂跡」を望む



多賀城廃寺跡、「三重塔跡」を望む



「三重塔跡」を望む
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「三重塔跡」にて



多賀城廃寺跡、「三重塔跡」の楚石を望む



「三重塔跡」楚石のアップです



「三重塔跡」より「金堂跡」を望む



多賀城廃寺跡、「三重塔跡」を望む
 、
  6.多賀城廃寺跡 「金堂跡」にて



多賀城廃寺跡、「金堂跡」を望む



「金堂跡」を望む



「金堂跡」にて



多賀城廃寺跡、「金堂跡」を望む



多賀城廃寺跡、「講堂跡」を望む
 





  7.多賀城廃寺跡 「講堂跡・鐘楼跡・・」にて



多賀城廃寺跡、「講堂跡」を望む



「講堂跡」にて



「講堂跡」を望む



多賀城廃寺跡、背面側より「講堂跡」を望む
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多賀城廃寺跡、「僧房跡」にて



「僧房跡」を望む

     【 後  記 】

 特別史跡指定の多賀城跡附寺跡(通称多賀城廃寺)は、奈良時代初期から平安時代頃まで多賀城の附属寺院として栄え、東北地方の安定と国家の平和を祈った寺であったとのことです。当時の建物はありませんが楚石が綺麗に残っていました。寺院として、伽藍の配置等はこじんまりとしたバランスの取れた美しい寺院であったと思いました。
 寺院内には、観光客を数人見かけるだけで、静寂の中にひっそりとたたずんでいました。現在は多賀城跡と廃寺の間にはJR東北本線がとおり分断されているように見えますが、距離は約1㎞です。当時多賀城からの参道は沢山の人々でにぎやかな場所であったのだろう思いました。        
(2022.05.25)





多賀城廃寺跡、「鐘楼跡」にて



「鐘楼跡」を望む



多賀城廃寺跡、「西倉跡」にて



西倉跡」を望む
  8.多賀城廃寺跡 隣接の「多賀神社」にて



多賀城廃寺跡より、「多賀神社」を望む



「多賀神社」を望む
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「多賀神社」にて



「多賀神社」にて



「多賀神社」にて






  お気に入り写真



多賀城廃寺跡、「中門跡」を望む



多賀城廃寺跡、「講堂跡」を望む。左側が「金堂跡」、右側が「三重塔跡」です
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多賀城廃寺跡、「講堂跡」を望む



多賀城廃寺跡より、「多賀神社」を望む





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