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【日本百名山 深田久弥著 「35 高妻山」より】 |
高妻山は戸隠連山の最高峰である。戸隠山は、手力雄命(たぢからおのみこと)が天の岩戸を開いてその戸を空に投げると、それが葦原の中つ国に落ちて山になったという、そんな古い伝説を持っている。戸隠奥社は手力雄命を祀り、中社は思兼命(おもいかねのみこと)を祀り、日の御子社は天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀る。いずれも岩戸開きに参加した神々である。
戸隠は、平安朝の初めから神仏混淆(こんこう)となり、その最盛期は平安朝の末から鎌倉時代の中頃までだったと言われ、奥院、中院、宝光院と三つの群落に分れて、それぞれ数多くの大きな寺社が建立され、その栄えは高野や比叡にも劣らなかったという。その後兵火にあって大部分が廃虚になったそうだが、しかし現在でも中社まで行って、厚い萱葺きの屋根が高々と並んでいるのを見ると、昔がしのばれるようである。
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高妻は二三五三米、乙妻は二三一五米。戸隠・飯縄・黒姫連山での最高峰であるのみならず、山の品格からいっても一番立派であるに拘(かかわら)らず、登る人が少ない。昔はこの高妻・乙妻も戸隠の御裏山と称して、修験者が登拝した。一不動をお裏巡りの振出しとして、二釈迦(しゃか)、三文殊(もんじゅ)、四普賢(ふげん)を経て五地蔵岳(一九九五米)に達した。
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五地蔵から先は、六弥勒(みろく)、七薬師、八観音、九勢至(せいし)を通って、高妻山の頂上には阿弥陀如来がまつってあったそうである。そこから更に、十一阿閦(あしゅく)、十二大日(だいにち)を過ぎると乙妻山で、その頂上には虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)があっという。
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高妻山尾根道より、戸隠山を望む |
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戸隠キャンプ場を望む |
戸隠牧場から一不動避難小屋の途中にある水場「氷清水」 冷たくて美味しかった! |
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戸隠キャンプ場入口です |
トラバースのクサリ場です |
高妻山 山頂にて |
戸隠キャンプ場にあります。戸隠山登山の先駆者、エミリーウェストンさんの碑です |
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Yahoo!地図より |
■カーソルセットで航空写真の表示 |
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後 記 |
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高妻山、乙妻山への山行は体力にあまり自信がないためノビノビにしておりました。日の長いこの時期、梅雨の晴れ間を利用し行ってまいりました。
戸隠キャンプ場の入口にある駐車場に車を止め、高妻山に向かい出発しました。内心、体力的に余裕があれば乙妻山にとも考えて出発しました。
当日は熱く日射病ぎみになり、とうとう九勢至(せいし)あたりでダウンしてしました。20分ほど休憩をとり、山頂にやっとたどり着きました。乙妻山まで行く体力はとても残っていませんでした。山頂には30分ほどとどまり、下山しました。途中で飲んだ「冷清水」、疲れた体にはまことに美味しかった。
次回は、乙妻山へ行けるように体力を含め準備して行きたいと思います。 (2012.09.02)
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内 容 |
コース概要 |
日程 |
2012年 6月 30日(土) |
●(行き) [6月30日]
自宅(6/29 22:20) ⇒ SA(仮眠02:00-04:15) ⇒ 戸隠キャンプ場P場(5:55)
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戸隠キャンプ場P場(6:15)→ 不動避難小屋(08:05-08:15) → 五地蔵岳(09:10-09:25) → ▲高妻山:2352m(11:50-12:25) → 五地蔵岳(14:00-14:10) → 不動避難小屋(15:00-15:10) → (16:50)戸隠キャンプ場P場
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●(移動) 戸隠キャンプ場P場(17:10) ⇒ (284㎞) ⇒ 自宅(22:10) |
天気 |
晴時々曇 |
山名 |
高妻山 (たかつまやま)
2,353m |
山域 |
戸隠連峰 |
入下山地 |
戸隠牧場 |
メンバー |
単独 |
メモ |
日帰り |
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二釈迦(しゃか) |
三文殊(もんじゅ) |
四普賢(ふげん) |
五地蔵 |
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六弥勒(みろく) |
七薬師 |
八観音 |
九勢至(せいし) |
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