|
|
|
|
”鬼ノ城” 案内 |
|
【日本百名城 鬼ノ城】 |
|
【 鬼ノ城の歴史 】
663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。『日本書紀』などには西日本の要所に大野城など12の古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測される。しかし、どの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。史書に記載が無く、12の古代山城に該当しないものは神籠石式山城と呼ばれる。
(ウィキペディアより)
|
|
|
|
|
■ 鬼城山、鬼ノ城全景を望む ■ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鬼ノ城、第3水門〜東門にありました |
左写真のアップです。なかなかの彫り物と思いました |
|
|
|
|
鬼ノ城、ふもとから西門のズームアップです |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鬼ノ城、北門を望む |
鬼城山、山頂を望む。標高約400mとのこと |
鬼ノ城、角楼跡にて、 |
"岡山縣十五景地”の碑にて
(屏風折れの石垣にて) |
|
|
|
|
|
|
|
Yahoo!地図より |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
後 記 |
|
|
鬼ノ城(きのじょう)は、名前からして興味津々の城でした。お伽噺「桃太郎」の原典となった「温羅(うら)伝説」の舞台として、古くから親しまれてきた城とのことです。ただ、城の成り立ちは現在においても解明できていない謎多き城とのこのことです。
鬼ノ城は、鬼城山山頂部をつながっている城壁跡は、国の史跡云々より、現在においては良きハイキングコースと思いました。眼下に広がる山・街並を眺めながらの歩きはなかなかのものでした。
今後城の歴史が解明され、1400年前の城がどんなものであったか再現されることを楽しみにしたいと思います。 (2015/5/4)
|
|
|
|
|
鬼ノ城、城壁を望む (◆カーソルセットで上空から見た鬼ノ城全景の写真(ビジターセンター掲示)が表示されます) |
|
|