|
|
|
|
高野山 ”金剛峯寺” 案内 |
|
【金剛峯寺の名称】 |
|
金剛峯寺は、明治元年に行政官から青巌寺を金剛峯寺へ改号するよう指導されました。また、明治2年には古くからの高野山の管理制度を改めて総宰庁がおかれ、執政、副執政、参政、顧問、監司といった五役を設け、さらには隣接していた興山寺というお寺を庁舎として使用することになりました。その後、この二つのお寺は合併され、総本山金剛峯寺として現在に至っています。ちなみに、このお寺の住職は座主と呼ばれ、高野山真言宗管長が就任することになりました。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられ、東西30間(約60メートル)、南北約70メートルの主殿(しゅでん 本坊ともいう。県指定文化財)をはじめ、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、護摩堂、阿字観道場、茶室等の建物を備え、寺内(じない)には狩野派の襖絵や石庭などが設けられ、境内総坪数48,295坪の広大さと優美さを有しています。 (高野山真言宗 総本山金剛峯寺 HPより)
|
|
|
|
|
■ 大釜は”二石釜”です。一つの釜で約7斗(98キログラム)の御飯を炊くことができ、3個で一度に2000人分のご飯が作れるとのことです。 ■ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
広く、ねんきの入った台所の様子です。 |
|
|
金剛峯寺には寺紋が二つあります。「五三の桐」と「三頭右巴」。五三の桐は豊臣秀吉拝領の青厳寺の寺紋。三つ巴は高野山の鎮守・丹生都比売神社(通称・天野神社)の定紋です。一般に寺紋は一つですが、金剛峯寺はこの二つで寺紋とされています。 |
|
|
|
|
ヒンヤリと落ち着いた回廊を進む |
金剛峯寺寺紋(三頭右巴:さんとうみぎどもえ)を望む |
金剛峯寺寺紋(五三の桐)を望む |
高野山第二世伝灯国師真然廟を望む |
|
|
|
|
|
|
|
|
Yahoo!地図より |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
後 記 |
|
|
金剛峯寺とは、かって高野山全体を称していたとのことです。現在の金剛峯寺は明治に2つの寺院が合併し高野山真言宗総本山金剛峯寺と呼ばれるようになったとのことです。
金剛峯寺の拝観は静寂とものすごい歴史の重さを感じながらの拝観でした。ひんやりとシーンとした回廊を歩くたびに背筋が伸びるような感覚でした。新別殿接待所の大広間でお茶とお菓子の接待があり、ここではゆったりと心落ち着かせることができました。また日本一広い石庭、蟠龍庭は寺院の外観からこういう庭があることが想像ができませんでした。
最後に驚かされたのは、台所の規模です。3つの釜で一度に2,000人分のお米を炊いていたとのこと。高野山の規模がここからも伝わってきた感じがしました。 (2014/6/25)
|
|
|
|
|
|
金剛峯寺、”新別殿接待所”にて (お茶とお菓子でもてなしてくれました。また169畳の大広間は一般参詣者の休憩所として開放していました) |
|
|