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 仁政殿は昌徳宮で最高位の建物で、王の即位式、臣下の朝礼、外国使臣の接見など、王の公式行事を行儀式の場所であったとのことです。1405年に建てられ、文禄・慶長の役時代に焼失。1609年に復元されるが、1803年火災で焼失し翌年に再建。1908年内部の一部を様式化し、現在に至っているとのことです。

昌徳宮正門 敦化門(トンファムン)にて
(韓国)世界遺産を訪れる
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楽善斎、後苑(フウォン)芙蓉池にて
仁政門(インジョンムン)・国宝 仁政殿(インジョンジョン)にて

(撮影:2007年12月30日)

  昌徳宮は入場にさいし、いろいろと制限が有りました。@所定のコースをガイドさんと一緒に行動すること。 A日本語のガイドさんにより、入場時間が決まっている(当日は10:30、14:30)こと。14:30に入場しました。この時期寒いため午後が人気とのこと、このために200〜300人が入場し大混雑の観覧となりました。

 樂善斎は1847年に王の居所として建てられた。読書を楽しめる私的な空間であった。宮中ながら質素な趣で丹青(色彩)も施さなかった。ここは昌徳宮の中では一番最近まで使われた建物で、最後の皇太子妃李方子(イ・ハンジャ)妃が1989年までここに暮らした。(文化財庁 パンフレットより)

宣政殿・大造殿(テジョジョン)にて

大造殿

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昌徳宮(チャンドックン)”を歩く

 芙蓉池は天は丸く、地は四角いという、東洋の伝統的な宇宙観によって作られた池である。四角池は地を意味し、中央の丸い島は天を象徴している。(文化財庁 パンフレットより)

1820年代後半の昌徳宮と昌慶宮の宮殿図(文化財庁パンフレットより)

仁政殿の品階石

錦川橋(クムチョンギョ)と進善門(チンソンムン)

大造殿の内部

錦川橋(クムチョンギョ)と進善門(チンソンムン)にて

奉寿堂は華城行宮の正堂

世界文化遺産 (1997年登録)

 昌徳宮(チャンドックン)は1405年に、正宮である景福宮(キョンボックン)の離宮として建てられた2番目に建てられた朝鮮時代の宮殿です。文禄・慶長の役(韓国では壬辰倭乱という)ですべての宮殿が焼失したが、1615年に第15代王光海君(クァンヘグン)が再建し、景福宮が再建されるまでの約270年間、正宮としての役目を果たした。朝鮮の宮殿の中で王が最も長く住んだ王宮であるとのことです。

 この寒さの中、1時間30分、4kmもの距離を歩き、ガイドさんは一生懸命に説明をしてくれていました。本当にありがとうございました。季節を変え、新緑、または紅葉の時期には、ここは全く別の顔を見ることの出来る場所と思いました。

  最後に、寒い日でした。ガイドさんは朝市内で氷点下6度といっていました。ひと気のないここは、ジンジンと身体の芯から冷え鼻先に痛みを感じるほどで、氷点化10度以下になっていると思いました。カメラのバッティリーは予備を含め上がり、手袋をはめた手の中で暖めながら、なんとか持ちこたえました。
  ここ昌徳宮の入館は国別に分けられています。日本人の入館は午前中は10:30、午後は14:30となっていました。寒い時期に訪れる人は、寒さの緩む午後の入館をお薦めします。


寒さで氷ついた芙蓉池

楽善斎

オンドルの煙突

宣政殿の青瓦

 宣政殿は王が日常の国事を議論したり、学者や官僚が儒教の経典や歴史を勉強したり、儒生たちを集めて試験をしたり、宴を行なったりした公式の執務所だった。現存する宮殿の中で唯一青い瓦の建物である。といわれています。大造殿は王妃の寝室です。

王座

橋の下には、端獣がいます

進善門

昌徳門正門のすばらしい色彩、チェックしましょう!

昌徳門正門 道路から撮映

国別(通訳のため)に入場時間が決められているため、混雑します

出口から見た中の様子

敦化門の天井

キッブ売り場

世界遺産の記念碑

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(文化財庁 パンフレット)
錦川橋(クムチョンギョ)
 錦川橋は、1411(太宗11年)に造られた。ソウルに残っている最も古いの石橋のひとつである。伝統的に宮殿に入る際には必ず水を渡るしきたりがあった。この水が風水説による幸運の水と信じたためだった。(文化財庁 パンフレットより)

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第6集 昌徳宮(チャンドックン) 韓国:ソウル




中陽門 奉寿堂より