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[画像]  インド共和国 世界文化遺産  ”クトゥブ・ミナール”  (No.2)
  
  
  
  
  
  
”クトゥブ・ミナール” を訪れる No.1 へ  
  
世界で最も高いミナレット ”クトゥブ・ミナール” を訪れる (デリー) No.2
 
 クトゥブ・ミナール
 世界文化遺産 (1993年登録)
デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群
 インド
  デリー
  (撮影 2014.11.22)
 クトゥブ・ミナールは、インドのデリーにあります。高さが72.5mと世界で最も高いミナレットです。

 1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられました。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっています。おそらくヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたものであり、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されています。  (ウィキペディアより)
(Size : 2,128KB) 
アラーイ・ミナールを望む 高さ72.5mの世界で最も高いミナレットを望む
 


 ”クッワト・アルイスラーム・モスク(通称 クトゥブ・モスク)” を望む
 
■  クッワト・アルイスラーム・モスクを望む  ■
  


 未完成の”アラーイ・ミナール”を望む 
 

 クッワト・アルイスラーム・モスクは、1295年から1315年にかけて第2次拡大をハルジー朝のスルタン、アラー・アッディーンによって行われ、その規模は 最初のモスクのじつに 10倍に達した。これに合わせて 1311年には、境内への南入り口に アラーイ門が建てられている。ここに初めて 本格的なアーチとドームの建物が実現し、インドの工匠たちが 外来のイスラーム建築の技術に習熟したことを示している。
 アラー・アッディーンは新しい中庭に、クトゥブ・ミナールに優る第二の塔を建てて イスラームの勝利を祝おうとしたが、1316年に暗殺されてしまったために、第1層も完成しないうちに 工事は中断されてしまった。そのアラーイ・ミナールの塔の基礎部分は 赤砂岩でつくられ、直径が 25メートルもあるので、完成していれば 100メートルを超える高さとなったであろう。不運のスルタンは、彼がモスクの隣に建てた マドラサ(イスラームの高等教育機関)、アラー・アッディーン学院の中に眠っている。
                    
(神谷武夫氏、「最初のモスクと クトゥブ・ミナール] より)
■  直径25m、アラーイ・ミナールを望む  ■
  
アラーイ・ミナール、案内版です
アラーイ・ミナールの頂上部を望む
  
  
 


 クトゥブ・ミナール (勝利の塔)を望む
 
■ 高さ 72.5メートル、基部の直径 約 15メートル、最上部は 直径約3メートルと巨大なミナレット(尖塔)を望む ■
     


 ”クッワト・アルイスラーム・モスク(通称 クトゥブ・モスク)” の石柱を望む
 
■ 破壊されたヒンドゥ寺院、ジャイナ寺院から流用された石柱を望む。見事な彫刻が施されています ■
  
     
■ 破壊されたヒンドゥ寺院、ジャイナ寺院から流用された石柱を望む ■
  
 


 クトゥブ・ミナール  案内
 
【クッワト・アルイスラーム・モスクとヒンドゥ教寺院】

 インド人は、アイバクが ヤムナー河のほとりのこの町で どのような宗教政策をとるのかを知ることになる。ムスリム(イスラム教徒)は、ヒンドゥ寺院のことを「ブッダの家」とよんでいたが、これを貶(おとし)め、27におよぶヒンドゥ寺院やジャイナ寺院を破壊したのである。 あげくに、その暴挙を みずからたたえる碑文まで刻んでいる。
 建築家たちは 破壊された、ヴィシュヌ神に献じられた寺院の上に中庭をつくり、列柱のある礼拝室を設計した。建設資材、とくに柱として使う石材は、破壊された寺院へ行けば いくらでも手に入れることができた。
 ヒンドゥ教徒と違って、ムスリムは いかなる偶像も彫刻したり、描いたりすることはできない。『コーラン』で禁じられているので、神はおろか人間や動物の像も 造ることができなかった。このため モスクを建てる際には、柱や梁は できるだけ生き物の像の彫られていないものが選ばれた。表面に それらが刻まれた石材は、向きを変えたり、目障りな彫刻を削り取ったりして使ったのである。
                  
神谷武夫氏、「最初のモスクと クトゥブ・ミナール] より)

 
■ クッワト・アルイスラーム・モスクには、いくつかの門がありました ■
  
 
クトゥブ・ミナールの出入口です
  
  
クッワト・アルイスラーム・モスクにて(1) クッワト・アルイスラーム・モスクにて(2) ”クッワト・アルイスラーム・モスク”にて 駐車場付近にて
 
  
 
Google地図より Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記   
 インドで初めてモスクが造られた場所とのことです。奴隷王朝の建国者アイバクは、臣下の日々の礼拝と、地元のインド人に対して「真の宗教」であるイスラームの優位を示すべく、大モスクを建設し、金曜モスクと呼んでいましたが、次第に「イスラームの力」を意味する「クッワト・アルイスラーム・モスク」と呼ばれるようになったとのことです。

建築資材にはヒンドゥー教とジャイナ教の寺院を破壊した石材で造られたとのことです。モスクとしてドームは見ることができます。この地のモスクは他のモスクと相当変わっていることは、余り知識の無い自分でも理解できました。廻廊の柱は写真のとおりです。何事も進化していく中では、こだわりの中でも実現していくためには色々と有ることを教えてくれる場所なのかも知れない。     
(2015/2/8)

 
クトゥブ・ミナールでは、沢山のリスちゃんが走りまわっていました  (◆カーソルセットでモスクの平面図が表示されます)
 


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