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[画像]  インド共和国 世界文化遺産  ”アグラ城”
  
  
  
  
  
  
  
  
”アグラ城” を訪れる (アーグラ)
 
 アグラ城 (Agra Fort)
 世界文化遺産
 (1983年登録)
 インド
 アーグラ
  (撮影 2014.11.23)
 アーグラ城塞(Agra Fort)は、インドのアーグラにあるムガル帝国時代の城塞です。
 赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」の名があります。ただし、デリーの城も同じく赤い城と呼ばれ、単にインドの「赤い城 (Red Fort)」と言えば、通常はデリーのほうを指します。

 インド北部を流れるヤムナー川。その西岸に建つアグラ城は16世紀からの約300年間、隆盛を極めたムガル帝国の歴代皇帝が君臨した居城。第3代皇帝アクバルがデリーから遷都し築いたアグラ城は、この地方で産出する赤砂岩を用いて造られているため「赤い城」と呼ばれています。また、赤い色は皇帝の強大な権力の象徴でもありました。  (ウィキペディアより)
(Size : 1,818KB) 
アグラ城デリー門を望む アグラ城、ムサンマン・ブルジヤとムナー川を望む
 


 ”アグラ城” に入城する
 
■ アグラ城、城壁を望む ■
アグラ城、デリー門より入場する アグラ城、デリー門を望む
 


 雄大な赤砂岩の大門(正面ゲート)を望む
 
【インドを代表する建築美】

  タージ・マハルはインドを代表するイスラム建築の廟です。白大理石の巨大な建造物は壁面のアラベスク模様、華麗な浮き彫りや透かし彫りなど、細部まで完璧な芸術作品となっています。

  タージ・マハルはアグラ市のヤムナ川岸に建てられています。ムガル皇帝シャー・ジャハン(1592〜1666年)が妻ムムターズ・マハル(1595〜1631年)の死を悼んで22年の歳月をかけて作らせた墓です。「タージ」は妻の名「ムムターズ」が変化した名とのことです。
 1632年に着工し1653年に完成、毎日2万人が建設作業に参加しましたた。ペルシャやアラブから選りすぐりの建築家や職人が集められ、破格の給与が支払われたといわれています。
                            
(地球・人間環境フォーラム HPより)

■  アグリ城、公謁殿を望む ■
公謁殿、入口にて
大門の天井部分です。大理石と赤砂岩で装飾されています 大門の中にありました、案内板です。広大な四分庭園(しぶていえん)で構成されていることがわかります
  
公謁殿にて


 白大理石でできたムサンマン・ブルジにて(1) 
 
■ 大門より、タージ・マハル廟を望む。河川(ヤムナー川)が近いせいか少々もやっていました ■
     
  
  
 


 白大理石でできたムサンマン・ブルジを望む
 
高さ 65メートルのドーム屋根を望む
   高さ 65メートルのドーム屋根先端部のアップです


 アグラ城にて
 
タージ・マハル正面入口の様子です
  
基壇の幅は95.4m、四隅にありますミナレットは高さ42mとのことです。
正面入口方面を望む
基壇にて、正面右側を望む
   白大理石の壁面の基部です
■ 廟の中の様子を望遠で覗いてみました ■
  
 


 アグラ城  案内
 
【愛妻への白亜の霊廟】
 国威が最盛期にあったムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(在位 1628〜1658)は、1630年に帝国の軍隊を率いて デカン高原へと向かった。アッラーの加護を得て、南インドも版図に組み込もうとしたのである。このとき、皇帝の愛する王妃 ムムターズ・マハルは身ごもっていたが、夫の遠征につき従っていた。そして翌年、中部インドのブルハンプルで 皇帝の 14番めの子供を出産したのち、その産褥熱(さんじょくねつ)がもとで、38歳にして世を去ってしまった。

 その王妃に先立たれると、シャー・ジャハーン帝は 国中が 2年間の喪に服すことを命じ、みずからも深い悲しみに沈んで、生涯心が晴れることがなかったという。帝国の領土拡大や宮廷政治に意欲を燃やし、「世界の王
(シャー・ジャハーン)」と名のった皇帝も ただムムターズ・マハルをしのび、彼女の記憶を永遠に留めるために墓廟の建設に没頭した。それこそインド亜大陸で最も壮麗にして典雅な、タージ・マハル廟である。
                          
(神谷武夫氏、「タージ・マハル廟] より)


 
■ 観光客を入場券売り場まで、運んでくれます ■
大気汚染が進むインドでは、酸性雨でタージ・マハルの大理石が痛むことを考慮してここの場所は徒歩、ラクダ車、電気自動車のみ通行可能とのことです
  
 タージ・マハルの入口の様子です  タージ・マハルの入口から、入場券売場まで観光客を乗せていました。歩いて10分程度の距離でした。
  
タージ・マハルの入口〜入場券売り場にて、観光客から果物を貰っていました
  
 大門の手前にて、タージ・マハルの屋根部分が見えています  大門内部の壁の様子です。インド各地の観光名所の写真が展示されていました タージ・マハル廟に向かって右側の門です 大門(正面ゲート)南面を望む
 
  
 
Google地図より Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記   
 タージ・マハルへの入場に際して、筆記用具、金属関係は持ち込まないようガイドさんより注意があり、念のため筆記用具、キーホルダー類をバスに置いて出かけました。金属探知機のゲートをくぐり手荷物検査を受け無事入場できました。インドの至宝を守るため、検査は思いのほか厳格でした。またタージ・マハルを守るため毎日延べ100人以上が、清掃、修復活動に従事しているとのことでした。

 入場後、大門(正面ゲート)をくぐり抜けると目の前に、写真やテレビで何度も見たタージ・マハルが目の前に現れました。朝早いせいか多少靄がかかっておりましたが、帰りには靄もとれクッキリと見ることができました。バランスのとれた白亜の廟は、青空に溶け込みまことに美しくそびえておりました。

 会社の旅行の先輩から、”大理石の上を裸足で歩いた”と聞かれました。裸足で歩くと普段体験できない何ともいえない心地よさがあるよ言われました。靴カバーで歩き回った自分は、何か勿体無いことをしたなと思いました。チャンスがあれば、次回は濡ティッシュ持参で裸足でも歩いてみたいと思います。

 タージ・マハルは本当に美しい建物でした。    
(2015/2/20)

 
サンマン・ブルジより、タージ・マハルを望む。あいにくの天候でほとんど視認することができませんでした
 
アグラ城の井戸です。観光客が覗きこんでおりました。 (◆カーソルセットでアクラ城のMAP(神谷武夫氏HPより)が表示さてます)
 
  
  
  
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