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 日本の歴史を訪ね歩く
    (奈 良 : 飛 鳥 路 、大 和 路)
  
  
    
[画像]   奈良 飛鳥路 ”橘寺” に参拝する
  
  
  
  
  
  
 飛鳥路  本尊は聖徳太子 ”橘寺” に参拝する
 
 橘寺 (たちばなでら)
 (飛鳥路)
 寺院
 奈良県 高市郡明日香村
 (撮影 2015.05.02)
 橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院です。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音です。
 橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するとのことです。

 橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立七大寺の1つとされています。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わっています。   (ウィキペディアより)  
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橘寺を望む(河原寺方面より) 橘寺、本堂(太子殿)にて



 橘寺 ”西門”より参拝する
 
■ 橘寺、西門です ■
西門からの境内の風景です。右側に見えているのが本堂(太子堂)になります
聖徳太子の愛馬、黒駒の銅像です。
聖徳太子の愛馬は、太子信仰では空を駆けたといわれ、達磨大師の化身と伝えられているとのこと。
  
         橘寺、西門からの風景です                      橘寺、手洗所です                        橘寺、拝観券です


 橘寺 ”本堂(太子堂)” を望む
 
■ 本堂(太子堂)、聖徳太子の愛馬、黒駒を望む ■
橘寺、本堂(太子堂)を望む
【橘寺本堂について】
 橘寺のほとんどの建物は火事で消失してしまい。現存するものは、江戸時代に再建されたとのことです。本堂(太子堂)、元々は講堂であったところとのことです。本堂(太子堂)の中に安置されている本尊は聖徳太子35歳の像(重文)で太子の彫刻としては最も古いものです。収蔵庫には聖徳太子絵伝があります。太子の生涯が屏風に描かれ8幅あるそうなのですが、その内の第3幅、第4幅が展示してあり、太子の11歳から20歳までの様子がよくわかるとのことです。 (春日野奈良観光HPより)
橘寺、本堂(太子堂)からの景色です
  
橘寺本堂からの景色です


 橘寺 ”五重塔跡” にて
 
■ 橘寺、五重塔跡を望む ■
  
橘寺、五重塔の塔礎石です
 
橘寺の五重塔の塔礎石は、大きさは一辺2.7mと大きく、中央に直径約1mの孔、周囲三カ所の突出部は添え木を入れるために設けられた。この礎石の大きさなどから創建時には初層一辺7mの五重塔であったと推定されています。
 平安時代前期久安4年(1148)に雷火により焼失。その後、鎌倉時代の文治年間(1185-1189)に再建(三重塔)されるが、これも永正3年(1506)多武峰の衆徒(僧兵)によって焼き討ちされ、以降再建されず今日に至っているとのことです。
橘寺、鐘楼を望む
  
     
 橘寺境内にて


 橘寺 ”二面石” にて
 
■ 橘寺、二面石です ■

二面石は、高さ約1mほどの石造物です。左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているとのことです




左側の顔、悪面とのことです
  
橘寺、三光石です。
 三光石の案内版には、「聖徳太子勝鬘経ご講讃の時、日、月、星の三光を放った。」と記されています。橘寺の寺伝には「太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)」と記載されており、石から光が出たのか、冠から光が出たのかはっきりしないとのことです。
  
  
         橘寺、東門です                            橘寺、境内にて(1)                        橘寺、境内にて(2)
 


 橘寺 ”観音堂” を望む
 
■  橘寺、観音堂を望む  ■
観音堂には、国指定重要文化財の六臂如意輪観世音菩薩像が安置されています。
像は木造の坐像で藤原時代(平安時代11世紀)の作で、像高さは170センチメートルとのことです
  
びんづる様

自分の悪い所をなでて、びんづる様の同じ個所をなでて、悪い所を取ってもらえるとのことです。
橘寺を詠んだ万葉和歌です。 (◇カーソルセットで案内版が拡大します)
橘寺東門より、境内を望む (◇カーソルセットで橘寺Mapが表示されます)


  奈良 飛鳥路 ”橘寺” 案内
 
【 橘寺について 】  -近畿鉄道HPより-
  
 橘寺は、徳太子創建七ヶ寺のひとつで、太子生誕の地と伝わる寺です。川原寺の向かいに位置し、日本書紀に「橘の尼寺」の記載がみられることから、当初は川原寺に対する尼寺だったと考えられています。正式には仏頭山上宮皇院菩提寺(ぶっとうざんじょうぐうこういんぼだいじ)といい、もとは太子の父、用明天皇の別宮が営まれた地といわれています。

 橘寺の名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物をとりにいった田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来します。8世紀の最盛期には60あまりの堂宇が並んでいたとのことです。現在は江戸時代に再建された本堂や観音堂などの主要な伽藍が建つのみとなっています。寺宝は貞観時代の木造日羅(にちら)立像、室町時代の木造聖徳太子坐像(ともに重要化財)などです。
 また、本堂の脇には、飛鳥の謎の石のひとつに数えられる二面石があります。この石に刻まれた左右ふたつの顔は、善と悪の顔をあらわしているといわれています。


 
■ 橘寺西門より、寺の外を望む ■
  
  「聖徳皇太子御誕生所」にて、後方は橘寺です
  
境内にて 橘寺本堂、聖徳太子御誕生所です サイクリングで橘寺へ向う 石橘寺、案内版です
 
 
  
 
yahoo!地図より yahoo!地図より!地図より(■カーソルセットで写真表示) yahoo!!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記 
 橘寺は、正徳太子誕生の地の寺として覚えておりました。川原寺との間には「聖徳皇太子御誕生所」の石碑もあり、聖徳太子はこの地、このような広々とした風景のところで誕生したのかと、周囲を眺め回していました。

 橘寺へは拝観券を西門で購入し、境内に入り左側に手洗所があり本堂の裏から入る形になっていました。寺の裏側から入った感じでなんとなく違和感がありました。境内を散策すると東門からの眺めが素晴らしいことがわかりました。左に鐘楼、その後ろに五重塔跡、正面には本堂(樹木のため見えませんでした)がバランスのとれた美しさがありました。昔は東門が正門との記述には納得できました。五重塔があったころは見事であったろうと感じながら散策を終えました。

 本堂(太子堂)は覗く程度で拝観を終えてしまい、聖徳太子の生い立ちを見なかったのは失敗でした。次回はじっくりと見て来たいと思います。
。  (
2015/10/19)

 
 
橘寺、本堂(太子堂)を望む
  
寺の名称のなった、橘の実があります
橘寺ひがしもんより、境内を望む。左側は鐘楼、その横が五重塔跡となります


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