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         日本の歴史を訪ね歩く
(撮影:2004年10月10日)

 
 安宅住吉神社と ”安宅の関”             (石川県:小松市
 
 安宅の関(あたかのせき)は、石川県小松市の日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所です。源義経が武蔵坊弁慶らとともに、奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり、弁慶が偽りの勧進帳を読み、義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという歌舞伎の「勧進帳」でも有名です。(ウィキペディアより)
義経一行は難関 「安宅の関」を見事突破できたのは、安宅住吉の大神の御神徳 の賜物(たまもの)と感謝の祈りを捧げたとのことです。
 


  難関突破  さざれ石


 石川県指定史跡 ”安宅の関址”
 安宅住吉神社は、奈良時代の書物にも登場する神社です。全国で唯一の「難関突破」の神様をまつり、初詣にはたくさんの受験生などで賑わいます。また希望者には巫女が勧進帳の説明をしています。住吉神社の裏手に円形の石垣があり、その中に関跡があります。与謝野晶子の詠んだ句や森山啓などの石碑も点在しています。神社と安宅の関碑の間に与謝野晶子の歌碑があります。(ウィキペディアより)
   
  
与謝野晶子歌碑 安宅の関跡(石川県指定史跡)
  
 

 安宅関 (左から源義経、武蔵坊弁慶、富樫)
 
  1187年、兄頼朝は義経を捕える為に、全国各地に関所を設けました。そして、頼朝の追ってを逃れ奥州に逃げのびる義経一行は、この安宅の関を通りかかったのです。ここで守護の富樫泰家の尋問に合う。芝居を打ってニセの勧進帳を読み上げ、義経を打擲して主人の身を守ろうとする弁慶。それに心打たれた富樫泰家は義経一行を通したということです。
 
 

 安宅の関址 案内 
 
 1187年(文治3年)平家討伐に戦功のあった源義経が、兄頼朝の怒りに触れて、奥州平泉の藤原氏のもとに落ちのびようとし、一行12名が山伏姿に身をやつし、安宅の関にさしかかった。この時、関守富樫左衛門泰家に見咎められたが、弁慶の機智と勇気により危うくその難を免れたことは、勧進帳や謡曲であまりにも有名な話であります。(石川県観光情報HPより
  
 
Yahoo地図より        Yahoo地図より   
 
  安宅の関址は、日本海に面した小高い砂丘にあって松原に囲まれています。「安宅関址」の石標、関の宮、与謝野晶子歌碑などがあり、また、一角に、日展作家故都賀田勇馬氏の制作にかかる、弁慶・関守富樫の大銅像や資料、宝物を多数展示した勧進帳ものがたり館や、日本海を一望できるレストハウス「勧進帳の里・安宅ビューテラス」があります。その台石に刻まれた「智・仁・勇」は、寄進者故永井柳太郎氏の筆になるもので、弁慶・関守富樫の心情を端的に表しています。(石川県観光情報HPより


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