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日本の城に登る・歩く
  ( 日 本 百 名 城 )
[画像]  (日本百名城 No.50)   ”彦根城” に登る (その1)
  
 国宝 ”彦根城” に登る
 彦根城 (ひこねじょう)
 国宝(天守)
 日本百名城 No.50 
 
 滋賀県彦根市
 (撮影 2010.05.03)
 彦根城(ひこねじょう)は、滋賀県彦根市金亀町にあった城です。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城で、江戸時代から明治4年(1871年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれていました。天守等7棟が1951年(昭和26年)に重要文化財に指定され、うち2棟(天守、附櫓、および、多聞櫓)が1952年(昭和27年)に国宝に指定されております。 (ウィキペディアより)   
(Size: 1,136KB) 彦根城天守を望む 彦根城天守より城内を望む
 国宝 ”多聞櫓”と”天守” を望む
いろは松(右側)横から佐和口多門櫓、天守を望む (見ごたえのある景色です)
国宝佐和口多聞櫓を望む 太鼓門 (たいこもん)を望む
 彦根城 ”天守” の雄姿
【彦根城の築城】

 彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、井伊直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。   
(彦根観光協会HPより)
彦根城、天守を望む (■カーソルセットで ”ひこにゃん” が表示されます)
 彦根城 ”天守” に登る
 天守の中の様子(1)
天守の中の様子(2) 天秤櫓 (てんびんやぐら)からの風景
 彦根城 ”天守”からの風景
■ 天守からの眺望 ■
天守より城内を望む 天秤櫓 (てんびんやぐら)から廊下橋を望む
 彦根城 ”天秤櫓と廊下橋”の風景
【天秤櫓の大修理】

 天秤櫓は1854年(安政元年)に大修理が行われ、その際、石垣の半分が積み直されています。 向かって右手が築城当初からの「ごぼう積み」、左手が新たに積み直された「落し積み」の石垣となっています。     (ウィキペディアより)
■ 重要文化財天秤櫓と廊下橋を望む (石垣の積み方が左右異なるのがわかります) ■
■ カーソルセットでで当時の彦根城の地図が表示されます                ■
  
天秤櫓と廊下橋 を望む 天秤櫓 から太鼓門へ進む
 ”彦根城” 案内
【解体寸前だった彦根城】

 彦根城は、明治に解体の危機にみまわれました。しかし、今も往時の面影が今日によく残っているのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。
一説には、随行した参議大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説。 また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、住持攝専(せっせん)夫人で、天皇の従妹(いとこ)にあたるかね子が奉上したとも言われています。
      (彦根j観光協会HPより)
■西の丸三重櫓を望む■
■代表紋章:彦根橘ののぼりです  ■彦根城天守を望む
  
太鼓門への道です(1) 彦根城 天守への入口 ”ひこにゃん”です    彦根城にて 太鼓門への道です(2) ひこにゃんと天守を望む
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真を表示します。 ■カーソルセットで航空写真を表示します。
後 記 (その1)
 彦根城といえば井伊直弼とひこにゃんを思い浮かびます。娘にひこにゃんの写真を撮ってきての言葉に押し出され行って来ました。

 城がまえは濠との調和がとれていてとても美しい城でした。特にいろは松横からの眺望はまことに見事でした。濠に写し出され浮かぶ佐和口多門櫓と天守、見ごたえ十分の風景でした。
また、ひこにゃんショーを見ましたが大人の私が見ても愛くるしくて可愛い。お城に興味の無い方でも家族連れで楽しめるイベントだと思いました。ショーの時間を確認し入城することをお薦めします。
  (2011.06.01)


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