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日本の城に登る・歩く
  ( 日 本 百 名 城 )
[画像]  (日本百名城 No.51)   ”安土城” に登る
  
 織田信長の居城 ”安土城” に登る
 安土城 (あづちじょう)
 国指定特別史跡
 日本百名城 No.51 
 
 滋賀県近江八幡市
 (撮影 2010.05.03)
 安土城(あづちじょう)は、滋賀県近江八幡市安土町下豊浦にあった日本の城(山城)です。城址は国指定特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっています。
 安土城は、現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇っていました。1582年(天正10年)の家臣明智光秀の信長への謀反(本能寺の変)後まもなくして何らかの原因によって焼失、その後廃城となっています。現在は石垣などの一部の遺構を残すのみとなっています。 (ウィキペディアより)   
(Size: 1,486KB) 安土城へ登る(大手道) 安土城天主閣跡を望む
 山城 ”安土城” を望む
黒金門跡を望む
駐車場入口にある石碑です。 本丸までの長い石段、両サイドに家臣の屋敷があります
 ”安土城” にて (1)
 安土城は六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭です。ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となりました。そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団、いわゆる「穴太衆」はその後全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていきました。
 ただし、安土城に残る当時の石垣の積み方は場所により様々であり、特定の「穴太積み」なる技法の存在を想定するのは難しいとのことです。   
(ウィキペディアより)
安土城、本丸跡を望む


伝羽柴秀吉邸主殿跡を望む
大手道を登る(本丸へは、急勾配の長い長い石段の道が続きます) 伝前田利家邸跡の虎口を望む
(でんまえだとしいえていあとのこぐち)
 安土城 ”天主閣跡” を望む
【ポルトガル人イエズス会宣教師、ルイス・フロイスの著書『日本史』より】

 中心には、彼らがテンシュと呼ぶ一種の塔があり、私たちの塔より気品があり壮大な建築である。
この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された。事実、内部にあっては、四方に色彩豊かに描かれた肖像たちが壁全面を覆い尽くしている。外部は、これらの階層ごとに色が分かれている。あるものはこの日本で用いられている黒い漆塗りの窓が配された白壁であり、これが絶妙な美しさを持っている。ある階層は紅く、またある階層は青く、最上階は全て金色である。このテンシュは、その他の邸宅と同様に我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われている。それらは、青に見え、前列の瓦には丸い頭が付いている。屋根にはとても気品のある技巧を凝らした形の雄大な怪人面が付けられている。    (ウィキペディアより)
 天主閣跡を望む
本丸跡より、天主閣への入口を望む 天主閣跡をらの風景
 安土城 ”本丸”からの風景
■ 本丸から石垣を望む ■
長い石段(1) 大手道の長い石段(2) ハ見寺仁王門へ長い石段(3)
 安土城 ”織田信長公本廟” を望む
【安土城の興亡】

@.1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、近江守護六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。

A.1579年(天正7年)5月、完成した天守に信長が移り住む。同年頃に、落雷により本丸が焼失したと、ルイス・フロイスが著書『日本史』に記している。

B.1582年(天正10年) 本能寺の変の時は蒲生賢秀が留守居役として在城していたが、本能寺の変による信長の横死後、蒲生賢秀・氏郷父子は本拠地日野城に信長の妻子などを安土から移動させ退去。山崎の戦いの後、明智秀満率いる明智軍の退却後、天主とその周辺建物(主に本丸)を焼失した。

本能寺の変以降もしばらく織田氏の居城として、信長の嫡孫秀信が清洲会議の後入城するなどと、主に二の丸を中心に機能していた。しかし、秀吉の養子豊臣秀次の八幡山城築城のため、1585年(天正13年)をもって廃城されたと伝わっている。     (ウィキペディアより)
■ 二の丸を望む ■
  
織田信長公本廟” を望む 織田信雄公4代供養塔を望む
 ”安土城” 案内
【今後への期待】 

 滋賀県は1989年(平成元年)から20年計画で安土城の発掘調査を行っており、南山麓から本丸へ続く大手道、通路に接して築造された伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる内裏の清涼殿を模った本丸御殿などの当時の状況が明らかとなりつつあり、併せて石段・石垣が修復工事されている。
      (ウィキペディアより)  

  引き続き調査及び修復工事に期待します。
三重塔付近より、城下を望む
■室町時代中期の”仏足石”がおかれています  ■ハ見寺三重塔を望む
  
駐車場より安土城を望む 安土城への入口(入場券売り場) 織田信長公本廟を望む        黒金門の先です 天主閣跡を望む
三重塔を望む    仁王門を望む ハ見寺仮本堂 大手堂を登る 大手堂の風景
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真を表示します。 ■カーソルセットで航空写真を表示します。
後  記
 安土城でイメージすることは、織田信長公、豪華絢爛で類まれな美しさを持った城です。信長公の死後、廃城になったとのことで城祉としてはあまり期待をせず、訪れました。

 正面には急勾配の長い長い石段の道(大手道)がでんと構えています。両側には家臣の屋敷(跡)が有り、この山全体が石垣で覆われている感じは圧感です。黒金門、本丸、天主へと石垣と道は続きます。
 安土城の残っている建造物は少なく、ハ見寺仮本堂、三重塔、山門が有り、廃城とはいえ木造建築にはホットさせてくれます。
 また、三重塔付近から見る風景もなかなか見事でした。

今回安土城を訪れて解ったことは、この城が日本の中世の築城の手本になり、石垣による築城が日本全国に広まったとのことです。信長公の革新的な考えがここにも生かされていたのだとつくづく感心しました。
  (2011.05.25)


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