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世界遺産を訪ねる・歩く
( 日 本 古都奈良・吉野山 )
[画像]  [世界文化遺産] 紀伊山地の霊場と参詣道  No.7 ”吉野山(大峯奥駈道)” を歩く
(下千本を一望する)
 吉野山  ”大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)” を歩く
 大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)
 紀伊山地の霊場と参詣道
 世界文化遺産 (2004年)
 吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する道
  (撮影 2011.09.23)
 吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名であります。
 古くから花の名所として知られ、特に桜は有名で、その地域ごとに下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれる。大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道です。     
 (ウィキペディアより)
(Size : 1,502KB)  花矢倉展望台 ”吉野山”を望む 吉野山 ”西行庵”を望む
 吉野山 金峯山寺の総門 ”黒門(くろもん)” を通る
【吉野山:修験道として多くの社寺が点在】

 吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く修行道・大峯奥駈道の北端にあたる位置にあります。山の尾根に沿って道が走り、修験道として多くの社寺や宿が点在しました。南側の熊野三山から吉野山へ向かうルートを順峯と呼び、北側の吉野から熊野へ向かうルートを逆峯と呼んだ。山中には桜の木が多く、桜の名所としても知られています。
  (角川マガジンズHPより)
金峯山寺の総門 ”黒門”を望む (1985年に再現された門です)
吉野山入口、黒門を進む 金峯山寺の山門と蔵王堂(右奥)を望む
 吉野山 ”金峯神社” に参拝する
 【金峯神社 (吉野信仰発端の神社)】

 金峯神社は、吉野山の総地主の神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祭神とした神社です。吉野水分神社とともに「吉野」が信仰の山となる発端となった神社であります。金峯神社から山頂にかけて奧千本と呼ばれ、杉や桜の老樹に覆われた山深い場所になっています。また、 境内から3分ほど下りた場所には、義経が弁慶らと追っ手から逃れるために隠れた「義経隠れ塔」があります。   
(角川マガジンズHPより)

金峯神社を望む(当日は残念ながら神社の改修工事中でした)
金峯神社の入口にある”修業門”を進む 金峯神社、本殿を望む 金峯神社(左:トイレ、右:世界遺産登録の案内板)
金峯神社全景です 世界遺産登録の案内板です(金峯神社にて)
 吉野山 ”義経かくれ堂” を望む
 ■ 金峯神社の正面左側の小道を150mぐらい進むと ”義経かくれ堂”があります ■
 吉野山 ”吉野水分(みくまり)神社” に参拝する
【吉野水分神社 (大和国四所水分社の一つ)】    

 吉野水分神社は、大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されている神社です。「みくまり」が「みこもり」と転訛して子守明神と呼ばれ、子供を護る神・子授けの神として信仰を集めています。御祭神の玉依姫命の御神像は日本第一の美女神像といわれ国宝に指定されています。社殿は本殿・拝殿・幣殿・楼門・回廊からなり、豊臣秀頼が父・秀吉の意志を継ぎ慶長9年(1604)に再建したものです。

(※玉依姫命の御神像は非公開。また平成23年末(予定)まで本殿改装中につき本殿への参拝はできません)    (角川マガジンズHPより)

 
■ 吉野水分神社、鳥居と山門を望む ■
境内の様子。本殿(右側部分)は改装中でした。残念! 水分神社、境内より山門を望む
 吉野山 ”上千本”にて
【吉野山の桜】

 吉野山は平安時代頃から桜が植え続けられてきています。 特に桜が数多く集まる所があり、いずれも一目千本と呼ばれ山下の北から山上の南へと順に下千本・中千本・上千本・奥千本と呼ばれています。 植えられている桜の種類は、ほとんどが白山桜(シロヤマザクラ)であり、その数は約3万本にも及ぶとのことです。

吉野山に桜が多いのは、桜が蔵王権現(ざおうごんげん)の神木であるとされたことによります。

修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)は、金峰山(現在の大峰山系)で修行を積み、その結果、金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)が出現して、これを感得し蔵王権現像を彫ったとされ、その時に用いられた木材が桜樹でした。以降、行者達は桜材を使い権現を彫刻し、これを祀る習わしとなり、これより桜は神木となり、桜の枯れ木といえども薪にさえせず、一枝を折る者は指一本を切るといったような厳しい信仰が厳守されたという。そのため蔵王権現に祈願する際には、神木とされる桜の苗を寄進するのが最善の供養となる風習が起こり、平安時代の頃から多くの桜が植えられるようになったとのことです。    
(ウィキペディアより)

■ 吉野山(花矢倉展望台)からの眺望です (◆カーソルセットで吉野山観光案内図が表示されます) ■
  
桜の名所、上千本の桜の様子です 世界遺産 ”吉野山”の標識(上千本にて)
 吉野山 大峯奥駈道 案内
【大峯奥駈道 (役行者が拓いた修験道)】

 大峯奥駈道は、奈良県・吉野/大峯と和歌山県・熊野三山を結ぶ修験者の修行道です。標高2000m近い山々の主稜線を踏破するように拓かれ、随所に行場が設けられています。修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が拓いたとされ、回数を重ねることが重要とされています。道の途中には靡と呼ばれる行場が75ヵ所あり、特に「笙の窟」は冬ごもり行の洞窟として、「弥山」は役行者修行の地として、また、「前鬼」は山伏集落として重要な場所とされています。  
(角川マガジンズHPより)


■ 奥千本、西行庵を望む ■
奥千本、西行庵の前は広場となっています 西行庵の内部です(西行さんの像があります)
  
吉野の街中にて 昼食でいただきました 銅の鳥居より、街中を望む 中千本の交差点を望む
(後醍醐天皇稜の石碑あり)
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
後  記
 吉野山について、知っていることは余りが無く、桜の名所、昔歴史で習った天皇家が南朝と北朝に分かれたときの南朝の皇居があったぐらいでした。まして”大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)”については、世界遺産に登録されて初めて知りました。

 今回吉野を訪れて、吉野山は大峯奥駈道の修験場として広大な場所の拠点であったこと。吉野にはなぜ山を覆おうほどの桜があるのか、と言うことを初めて知りました。
 桜にはシーズンオフの9月に訪れましたが、観光客は余り見かけず、ひっそりと寂しさを感じるほどでした。上千本の桜の木々を眺めながら歩きましたが、吉野の桜のすごさ、木々に現れる歴史を肌で感じることができました。次回は満開の桜をぜひ見てみたい。

[追記]
 2002年(平成14年)12月19日、国の史跡「大峯奥駈道」として指定され、2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。

   ・第71 金峯神社(きんぷじんじゃ)
   ・第72 水分神社(みくまりじんじゃ)
   ・第73 吉野山(よしのさん)

                                   
(2012/01/04)


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