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世界遺産を訪ねる・歩く
( 京 都 )
[画像]  No.3 世界文化遺産  京都 ”仁和寺 (にんなじ) (1)”
仁和寺 ”仁王門” を望む
 古都 ”仁和寺” に参拝する
 仁和寺(にんなじ)
 古都京都の文化財
 世界文化遺産 (1994年)
 京都府 京都市右京区御室
  (撮影 2010.11.20)
 仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院です。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇であります。
 中門仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されていましたが、やがて年号をとって仁和寺と号するようになりました。  (ウィキペディアより)
(Size : 1,139KB)  中門より仁王門を望む 仁王門を望む
 九万平方メートルの広さを誇る仁和寺 ”仁王門” を望む
仁王門より中門を望む
仁王門の左側の金剛力士 仁王門の右側の金剛力士
 国宝 ”金堂 (こんどう)” を望む
 国宝の金堂は、仁和寺の中心にあり、仁和寺の再建時に旧皇居より下賜された建物の一つであります。
それゆえ、仁和寺金堂は宮殿に見られる意匠が残り、寺院建築と宮殿建築両方の特徴を兼ね備える珍しい建物となっています。

金堂は明治時代に焼失し、明治時代末から大正初期にかけて再建されています。金堂は唯一完全に残る旧皇居の建造物としても大変貴重なものとなっているとのことです。
中門より金堂を望む。広い寺院です。
金堂(1) 金堂(2) 正面から 金堂への参拝
金堂の屋根の瓦(正面左側) 金堂の屋根の瓦 金堂の屋根の瓦(正面右側)
 重要文化財 仁和寺 ”五重塔” を望む
 五重塔全景 各層の屋根の大きさがほぼ同じの塔、江戸期の特徴をしめしています。
紅葉の五重塔(1) 正面から望む五重塔  紅葉の五重塔(2)
 重要文化財 “御影塔(みえどう)” を望む
「御影堂」は寛永の再興時に建てられたとのことです。桃山様式の建物で、建物内には、弘法大師、開山宇多法皇、仁和寺第二世大御性親王の影像が安置されているとのことです。
御影堂への入り口 御影堂正面 御影堂 屋根部の飾り
 仁和寺の “中門”より”仁王門” を望む
【仁和寺の名前の由来】

 仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
   (仁和寺 HPより)
■ 中門より仁王門を望む  ■
 古都 ”仁和寺” 案内
 仁和寺の金堂の内部には仁和寺の本尊である阿弥陀三尊像が安置されています。阿弥陀三尊像は中央に阿弥陀如来を配し、その左に観音菩薩を、右に勢至菩薩を置くというもので、仁和寺のものは阿弥陀如来が坐像、観音菩薩と勢至菩薩が立像というスタイルであるとのことです。
 なお、
   脇侍の観音菩薩は阿弥陀如来の”慈悲”を表し、
   勢至菩薩は”知恵”を表しているという。

 この阿弥陀三尊像は仁和寺創建時に作られたものであるとされ、いずれも檜材の一木造。金堂同様に国宝指定を受けています。
仁和寺の紅葉の美しさ (観音堂にて)  (■カーソルセットで国宝 ”阿弥陀如来坐像” が表示されます。)
観音堂の紅葉 九所明神 本殿・左右殿を望む 金堂正面左側にある”鐘楼”
「きぬかけの道」案内板 九所明神 本殿・左右殿 ”金堂”を望む 観音堂(重要文化財) 五重塔 東門です
Google!地図より ■Zoom ■Zoom
後  記
 仁和寺の境内の広さと仁王門の大きさには圧倒されました。境内には思いのほか観光客が少なくゆったりと散策することができました。紅葉の見どころとしては、五重塔、金堂の横、そして観音堂付近はまことにあでやな紅葉でした。この広大な境内を歩くことで、四季おりおりの楽しみができることがわかりました。
 また、国宝の金堂は京都御所の紫宸殿を移築したとのことです。屋根瓦がとても面白い形をしていました。
今度は、桜の時期に歩いてみたい。
  (2011.01.29)


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