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タージ・マハル廟 案内 |
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【愛妻への白亜の霊廟】 |
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国威が最盛期にあったムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(在位 1628〜1658)は、1630年に帝国の軍隊を率いて デカン高原へと向かった。アッラーの加護を得て、南インドも版図に組み込もうとしたのである。このとき、皇帝の愛する王妃 ムムターズ・マハルは身ごもっていたが、夫の遠征につき従っていた。そして翌年、中部インドのブルハンプルで 皇帝の 14番めの子供を出産したのち、その産褥熱(さんじょくねつ)がもとで、38歳にして世を去ってしまった。
その王妃に先立たれると、シャー・ジャハーン帝は 国中が 2年間の喪に服すことを命じ、みずからも深い悲しみに沈んで、生涯心が晴れることがなかったという。帝国の領土拡大や宮廷政治に意欲を燃やし、「世界の王(シャー・ジャハーン)」と名のった皇帝も ただムムターズ・マハルをしのび、彼女の記憶を永遠に留めるために墓廟の建設に没頭した。それこそインド亜大陸で最も壮麗にして典雅な、タージ・マハル廟である。
(神谷武夫氏、「タージ・マハル廟] より)
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■ 観光客を入場券売り場まで、運んでくれます ■
大気汚染が進むインドでは、酸性雨でタージ・マハルの大理石が痛むことを考慮してここの場所は徒歩、ラクダ車、電気自動車のみ通行可能とのことです |
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タージ・マハルの入口の様子です |
タージ・マハルの入口から、入場券売場まで観光客を乗せていました。歩いて10分程度の距離でした。 |
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タージ・マハルの入口〜入場券売り場にて、観光客から果物を貰っていました |
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大門の手前にて、タージ・マハルの屋根部分が見えています |
大門内部の壁の様子です。インド各地の観光名所の写真が展示されていました |
タージ・マハル廟に向かって右側の門です |
大門(正面ゲート)南面を望む |
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タージ・マハル廟へは、土足現金です。裸足か、靴カバーが必須です。入場券売り場で購入した靴カバーです |
インド人の家族に誘われて、一緒にとりました。家族旅行の記念にしたいとのことでした |
”タージ・マハル”にて |
タージ・マハルの入場券です |
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Google地図より |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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タージ・マハルへの入場に際して、筆記用具、金属関係は持ち込まないようガイドさんより注意があり、念のため筆記用具、キーホルダー類をバスに置いて出かけました。金属探知機のゲートをくぐり手荷物検査を受け無事入場できました。インドの至宝を守るため、検査は思いのほか厳格でした。またタージ・マハルを守るため毎日延べ100人以上が、清掃、修復活動に従事しているとのことでした。
入場後、大門(正面ゲート)をくぐり抜けると目の前に、写真やテレビで何度も見たタージ・マハルが目の前に現れました。朝早いせいか多少靄がかかっておりましたが、帰りには靄もとれクッキリと見ることができました。バランスのとれた白亜の廟は、青空に溶け込みまことに美しくそびえておりました。
会社の旅行の先輩から、”大理石の上を裸足で歩いた”と聞かれました。裸足で歩くと普段体験できない何ともいえない心地よさがあるよ言われました。靴カバーで歩き回った自分は、何か勿体無いことをしたなと思いました。チャンスがあれば、次回は濡ティッシュ持参で裸足でも歩いてみたいと思います。
タージ・マハルは本当に美しい建物でした。 (2015/2/20)
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タージ・マハルにて、沢山の生徒が拝観に訪れておりました。 (◆カーソルセットでタージ・マハルの地図が表示さてます) |
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