Ver.4-840 
日本の歴史を訪ね歩く
   (日本の歴史・日本のふるさとを歩く)
[画像]   川越 ”喜多院” に参拝する
喜多院 慈恵堂を望む  
 川越大師 ”喜多院” に参拝する
 喜多院 (きたいん)
 寺院  
 埼玉県 川越市 
 (撮影 2011.05.22)
 喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院で、山号は星野山(せいやさん)です。

 良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られています。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有します。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっています。1月3日の初大師(だるま市)、節分、長月護摩講塔、七五三、菊祭りなど諸行事はもちろん、四季折々の行楽客で賑わいます。境内にある五百羅漢の石像も有名です。   (ウィキペディアより)
(Size: 1,340KB) 慈恵堂 (本堂 ・ 大師堂)を望む 天海大僧正の像を望む (山門前に建っています)
 喜多院 ”慈恵堂” を望む
喜多院 慈恵堂 (本堂 ・ 大師堂)を望む
慈恵堂を望む (■カーソルセットでアップします) 喜多院 ”慈恵堂 (本堂 ・ 大師堂)を望む
 ”喜多院” にて
 喜多院は、江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として、また江戸城から移築された三代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物をはじめとする、多くの文化財を所蔵しています。喜多院の名は川越というより、埼玉県を代表する寺院として全国的にも有名であります。   (小江戸川越観光協会HPより)
喜多院歴代住職のお墓です(慈眼堂の裏手にあり、正面は天海僧正 (慈眼大師) のお墓です)
重要文化財”慈願堂” (■カーソルセットで内部が表示されます) 天海僧正 (慈眼大師) の墓 (慈眼堂の裏手にあります)
   
   
多宝塔を望む ”苦ぬき地蔵尊” (本堂の左手にあります)
 重要文化財 喜多院 ”山門”
 喜多院の山門は、寛永 9年(1632)に建立された切妻造の四脚門です。同15年(1638)の川越大火での焼失を免れた、喜多院では最古の建造物であります。元々は、御奈良天皇の筆の「星野山」の勅額が掲げられていました。国の重要文化財に指定されています。   (ウィキペディアより)
重要文化財 ”山門” を望む。右側は番所です。
 
【番所 (国の重要文化財)】
 番所は、山門の右側に接続する形で建っています。江戸時代中期以降の建築で、同種のものとしては、埼玉県内に残る唯一の遺構といわれています。
 
重要文化財 ”山門” を寺院内より望む 重要文化財 ”鐘楼門” を望む
 文化財指定 喜多院の”客殿・書院”
■ 文化財指定の客殿(徳川家光誕生の間)、書院(春日局化粧の間)など有ります ■
 
 徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築されていますた。  (小江戸川越観光協会HPより)
 
客殿・書院と本堂を結ぶ渡り廊下 客殿・書院の庭の様子(曲水庭)
 「日本三大羅漢」の1つ ”五百羅漢”
【五百羅漢】

 喜多院の五百羅漢は、「日本三大羅漢」の1つとなっています。五百羅漢は天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座しています。石仏は全てが異なる表情・ポーズであるが、深夜、羅漢の頭を撫でると一つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ている、という伝承が残っています。   
(ウィキペディアより)
■ 五百羅漢(1) ■
五百羅漢(2) 五百羅漢(3)
五百羅漢(4)
 ”喜多院” 案内
 【鐘楼門】

 喜多院の鐘楼門は、寛永10年(1633)に建立されています。元々は今の慈眼堂の位置にあった仙波東照宮の近くに建てられていました。寛永15年(1638)の川越大火による焼失を免れ、のちに現在地へと移築されました。縁には勾欄をめぐらし、壁面には前面に竜、背面に鷹の木彫が 2個づつはめ込まれています。この鐘楼に懸けられている銅鐘には元禄15年(1702)の銘があります。国の重要文化財に指定されています。
    (赤穂大石神社HPより)
喜多院 境内への入口です。右側は多宝塔です。
■喜多院にて ■NHK大河ドラマ「江」ののぼり、奥は山門です
  
喜多院入口にて  太子堂を望む 慈恵堂の内部です 五百羅漢にて 客殿にて 御神木です (天海僧正お手植えの槇)
Google!地図より ■カーソルセットで航空写真を表示します。 ■カーソルセットで航空写真を表示します。
後  記
 喜多院については、川越にも大師様があるというぐらいの知識しかありませんでした。今回参拝に訪れて建物のほとんどが重要文化財に指定され、さらに徳川ゆかりの建物、家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた、化粧の間などには驚かされました。

 また、日本三大羅漢の一つ、五百羅漢は圧感でした。五百数体の石仏一つ一つの形、顔の表情がが違っており、当時の人がどんな気持ちで奉納したのかが伝わって来る感じがしました。

 こういう歴史の重みを感じながらの参拝も良いものだと思いました。
  (2011.06.18)
 


Topへ



Home                                        Back
Copyrightc e-aruki All Right Reserved by Xinku Yingxing 無断転載禁止