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[画像] 世界文化遺産   中国  敦煌仏教遺跡 ”莫高窟(ばっこうくつ)” を訪れる
  

  
  
  
  
 
 
  
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 1.中国 敦煌仏教遺跡 ”莫高窟” を訪れる 
 
     
 莫高窟
 (ばっこうくつ)
 世界文化遺産
 「莫高窟」
 (1987年に登録)

 中国 甘粛省 敦煌市
 (撮影 2017.06.27)
  莫高窟は、敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に南北約1600mにわたって600ともいわれる石窟があり、極彩色で彩られた壁画や2400余体もの色鮮やかな彩色塑像が安置されています。

 莫高窟が拓かれたのは、敦煌が前秦の支配下にあった五胡十六国時代の366年頃といわれ、元代まで約1000年にわたり石窟の造営は続けられました。当初は仏教の修行の場として築かれたもので、北側の石窟には、僧たちが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っています。南側の石窟は仏教芸術の宝庫となっています。

 シルクロードの交通の要衝にあった敦煌は、東西交易の中継地として栄え、様々な文化、宗教、芸術が行き交い融合し、独自の仏教芸術を創り上げました。初期の壁画はインド仏教芸術の、仏塑像は西域の影響をそれぞれ受けており、また後世になると中国色が強くなるなど、東西交流をうかがわせることからも歴史的・文化的価値は非常に高い場所となっています。   (ウィキペディアより)   
(Size :    KB) 莫高窟を望む 莫高窟、世界遺産登録碑を望む







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 跋扈窟は、北宋から西夏にかけ敦煌が衰退したこともあり、窟の数も少なっていきました。西夏代のものは20、次の元代の物は7窟と推定されています。この頃になると東西交易のルートが陸上から海上に移ったこともあり、4世紀から14世紀にわたって造営された莫高窟も、そしてやがては敦煌も、砂漠の砂の中に忘れ去られていきました。      (旅のフィールドノートからHPより)
 
   
 







  お気に入り写真




莫高窟、牌楼を望む。沢山の人が記念写真を撮っていました






敦煌、莫高窟にて。石窟が果てしなく続いています




敦煌、莫高窟数字展示センターでのセレモニーです。この後、跋扈窟の映画上映と続きました






莫高窟数字展示センターより跋扈窟へは15分のバスでの移動です。車中からの石窟の眺めです。手前は水のない大泉河(だいせんが)です




莫高窟の案内板です。同じものが数か所にありました






莫高窟、第130窟を望む




莫高窟、石窟の屋根のアップです






莫高窟、石窟群を望む





莫高窟、第16窟、第17窟を望む。20世紀最大の発見といわれています敦煌文書の発見された場所です






莫高窟、第203窟上部の絵です。色もはっきりと残っています




莫高窟を望む






敦煌のシンボル、飛天反弾琵琶像を望む(敦煌市内にて)






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