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第1集 長野県山ノ内町 渋温泉 「温泉寺」参拝
  


渋温泉「横湯山 温泉寺」にて、楼門より本堂を望む 
  

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        < 内 容 >
 1.渋温泉 横湯山温泉寺 「山門」にて 
 2.渋温泉 温泉寺 「境内」にて(1)

 3.渋温泉 温泉寺 「境内」にて(2) 
 4.渋温泉 温泉寺 「楼門」にて
 5.渋温泉 温泉寺 「本堂」にて
 6.渋温泉 温泉寺 「本堂・鐘楼」にて
 7.渋温泉 温泉寺 「御利益散歩道」にて
 8.長野県下高井郡山ノ内町 「横湯山 温泉寺」の概要







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 1.渋温泉 横湯山温泉寺 「山門」にて



1-1 渋温泉、温泉街より「温泉寺 山門」を望む



1-2 渋温泉、横湯山温泉寺「山門」を望む
< 「信玄公と温泉寺について」について > 
  信玄公と温泉寺の関係は、戦国時代、武田信玄公は仏教全般を広く信仰し、寺院や僧侶を保護していました。永禄4年(1561)の川中島の戦いの後、渋温泉で疲れを癒したと伝えられています。その感謝もあって永禄7年(1564年)には寺領70貫文を寄進しています。そして温泉寺は寺紋には武田菱を掲げています。寺宝には信玄直筆の寄進状や軍配などが残され、開基も武田信玄となっています。
           



1-3 渋温泉、横湯山温泉寺「山門」にある「曹洞宗横湯山騒動集横湯山温泉寺の由来」説明板です。 寺の創建は、約700年前(1305年)に開かれたこと、武田信玄公が川中島の合戦の1ヵ月後にこの地の温泉に身体を癒しに来られた等、書かれています。



1-4 渋温泉、温泉寺「山門」にて、 大きな獅子頭「横湯大獅子」です。 病魔厄除けのために造られたとのことです



1-5 渋温泉、温泉寺 山門より「境内」を望む



1-6 渋温泉、温泉寺境内より「 山門」を望む



1-7 渋温泉、温泉寺境内より「 山門」を望む
 





 No.2
  2.渋温泉 温泉寺 「境内」にて(1)



2-1 横湯山温泉寺境内にて、「石段と鐘楼」を望む



2-2 温泉寺境内にて



2-3 温泉寺境内にて、右奥に見えるのは休足所「信玄」(足湯)です



2-4 温泉寺境内にて、「石段と鐘楼」を望む



2-5 温泉寺境内にて、「山門と墓所」を望む
 No.3
  3.渋温泉 温泉寺 「境内」にて(2)



3-1 横湯山温泉寺境内にて、「六地蔵」を望む



3-2 温泉寺境内にて、「六地蔵」のアップです



3-3 温泉寺境内にて



3-4 温泉寺境内にて



3-5 温泉寺境内にて



3-6 温泉寺境内にて、「鐘楼」を望む



3-7 温泉寺境内にて、「武田信玄公 安堵状(あんどじょう)」を望む



3-8 温泉寺境内にて
   





 No.4
  4.渋温泉 温泉寺 「楼門」にて



4-1 横湯山温泉寺にて、「楼門」を望む



4-2 温泉寺にて、「楼門」を望む



4-3 温泉寺にて、「楼門」を望む



4-4 温泉寺にて、楼門より「本堂」を望む
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 No.5
  5.渋温泉 温泉寺 「本堂」にて



5-1 横湯山温泉寺にて、「本堂」を望む



5-2 温泉寺にて、「本堂」を望む



5-3 温泉寺にて、「本堂」にて



5-4 温泉寺にて、「本堂」入口右側にあります。日光東照宮でお馴染みの「見ざる、言わざる、聞かざる」の石像です



5-5 温泉寺にて、「本堂」入口左側にあります。対になった逆三猿「見る(見たい)、言う(言いたい)、聞く(聞きたい)」のユニークな猿たち石像です



5-6 温泉寺にて、「本堂」にて



5-7 温泉寺にて、「本堂」にて



5-8 温泉寺にて、「温泉寺 本尊釈迦如来」の説明板です。残念ながら読みづらくなっています



5-9 温泉寺にて、本堂前より「楼門」を望む



5-10 温泉寺、本堂前にて
 





 No.6
  6.渋温泉 温泉寺 「本堂・鐘楼」にて



6-1 横湯山温泉寺にて、「法性閣」を望む



6-2 温泉寺にて、墓所への入口を望む



6-3 温泉寺にて、本堂横にあります「御利益散歩道」の案内図です
     【 後  記 】

  渋温泉の温泉街の石畳の坂を登ると温泉寺(横湯山温泉寺)の山門に突き当たります。山門の横には大きな獅子頭「横湯大獅子」があり、目を引きます。山門からは石段の上に鐘楼が立ち寺院が高台あることがわかります。
 石段を進むと七地蔵、「武田信玄公 安堵状(あんどじょう)」碑と進むと楼門がそびえ立っています。この楼門を中心とした眺めは迫力があり立派と思いました。本堂については、建立時期はわかりませんが比較的新しく感じ驚かされました。また本堂前にある逆三猿「見る(見たい)、言う(言いたい)、聞く(聞きたい)」のユニークな猿たちの石像は、誰の発想なのか興味を持ちながら参拝をしました。
             (2025.06.18) 






6-4 温泉寺 鐘楼「開運幸運の鐘」碑を望む



6-5 温泉寺 鐘楼と開運幸運の鐘碑を望む



6-6 温泉寺 鐘楼のアップです



6-7 温泉寺「 鐘楼」を望む
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 No.7
  7.渋温泉 温泉寺 「御利益散歩道」にて



7-1 横湯山温泉寺にて、墓地への入口です



7-2 温泉寺にて



7-3 温泉寺にて



7-4 温泉寺にて



7-5 温泉寺「 無縫塔」の説明板です



7-6 温泉寺「 墓地」を望む



7-7 温泉寺より、「 金毘羅宮」を望む




 No.8
 8.長野県下高井郡山ノ内町 「横湯山 温泉寺」の概要
 渋温泉 温泉寺
(横湯山温泉寺)
 日本の寺社
 〒381-0401
 長野県下高井郡山ノ内町大字平穏
 (撮影 2025.06.02)
 (作成 2025.06.18)

 渋温泉の温泉寺(横湯山温泉寺)は長野県下高井郡山ノ内町大字平穏にある曹洞宗の寺院です。温泉寺の創建は嘉元3年(1305)、虎関師練国師(京都の東福寺・南禅寺住持)が巡錫で渋温泉に訪れた際、草庵を設けたのが始まりとされています。その後、一時荒廃しましたが弘治2年(1556)に渋温泉在住の大檀那が貞祥寺(長野県佐久市)の円明国師を招いて再興し曹洞宗に改宗しています。

 境内は広く山門、楼門、鐘楼、本堂、経堂などが建ち並んでいます。
(山号:横湯山、宗派:曹洞宗、本尊:釈迦如来)。

       
(ウィキペディアより)

(Size : 107,122KB) 渋温泉、温泉街より横湯山温泉寺 「山門」を望む 渋温泉、横湯山温泉寺 「本堂」を望む

google地図より(■カーソルセットで地図写真表示)
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GoogleMapより、渋温泉 温泉寺付近の写真です。
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