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  ( 日 本 100名 城 : 東 北 地 方 )
  
  
 
第1集  秋田県秋田市 「久保田城 (日本100名城 9番目)」 に登城する (1/2) 
  


久保田城、「御隅櫓」を望む
  
  
  
 
 




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【 目 次 】
 1.秋田県秋田市 「久保田城跡」に登城する
 2.久保田城跡 「大手門跡・大手門の堀」にて

 3.久保田城跡 「久保田城跡碑~松下門」にて
 4.久保田城跡 「二の丸跡」にて
 5.久保田城跡 「長坂門跡~表門」にて
 6.久保田城跡 「御物頭御番所」にて
 7.久保田城跡 「表門」にて
 8.久保田城跡 「本丸(佐竹公像)」にて
 お気に入り写真
  1.秋田県秋田市 「久保田城跡」に登城する
 久保田城
 (たがじょう)


 日本100名城 9番目
 (東北の城) 
 〒010-0876
  秋田県秋田市千秋公園
 (撮影 2022.04.27)
 (作成 2022.06.07)

 久保田城(くぼたじょう)は、羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田、現在の秋田県秋田市千秋公園近辺にあった城郭です。史跡指定はされていませんが、「千秋公園(久保田城跡)」として秋田市指定名勝に指定されています。また日本100名城の第9番に選定されています。

 久保田藩主佐竹氏の居城である。矢留城、葛根城とも呼ばれています。江戸時代後期から明治時代の公式文書では「秋田城」と書かれることも多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地ともに別の城です。名勝としての指定名称は「千秋公園(久保田城跡)」であり、「久保田城」が使われています。

 久保田藩主(秋田藩主)佐竹氏は、源氏の流れをくむ名門であり、全国でも古い歴史を持つ大名です。関ヶ原の合戦のあと、秋田に転封された佐竹義宣は久保田の地、神明山(現在の千秋公園)に新たに城を築き、城下町を建設しました。以来、秋田市は久保田城下町を中心として近世・近代都市として発展してきました。
                  (ウィキペディアより)
(Size : 73,160KB) 久保田城、「御隅櫓」を望む 久保田城、「表門」を望む
  





  2.久保田城跡 「大手門跡・大手門の堀」にて



久保田城跡 「大手門跡」を望む。左側は「大手門の堀」です


「大手門の堀」を望む 久保田城「大手門跡」にて
< 久保田城跡の石垣について > 
 久保田城は雄物川の支流である旭川の左岸、程野村窪田にある神明山(しんめいやま、標高40メートル)に築かれた平山城です。石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており(鉢巻土手)、天守も持たず塁上に「出し御書院」(だしおしょいん)または「御出書院」(おだししょいん)と呼ばれる櫓座敷を建ててその代わりとし、他に8棟の櫓を建て並べていました。石垣が無いのは幕府に遠慮したためと言われていますが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったため、石垣作りに精通した者が家中に居なかったという説もありますが、後に江戸城の修築を命じられた時、佐竹氏は石垣の普請も担当していました。      (ウィキペディアより)



大手門跡より、「中土橋門跡」を望む
「大手門跡」を望む 広小路にて、右側が大手門跡です 広小路より、「大手門の堀」を望む。後方は国学館高等学校です 広小路より、「大手門の堀」を望む。後方は秋田市文化創造館です
google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示) Google!地図より(■カーソルセットで写真表示)
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「大手門の堀」にて、「日本の道100選」碑(左の碑)より広小路、JR秋田駅方面を望む



久保田城、中土橋門跡より「大手門の堀」を望む。後方は大手門跡です



中土橋門跡より「大手門の堀」を望む



googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
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中土橋門跡より「穴門の堀」を望む
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久保田城址、「穴門の堀」を望む。右側が「中土橋門跡」です



穴門の堀より、「中土橋門跡」を望む
 





  3.久保田城跡 「久保田城跡碑~松下門跡」にて



中土橋門跡にて、「多賀城城址」碑を望む
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久保田城址碑隣にあります、明治元年の「久保田城郭図」です



中土橋門跡より、「松下門跡」方面を望む



久保田城、「松下門跡」方面を望む
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久保田城、大きな柳の木「穴門の柳」にて




「久保田城跡」にて



久保田城、「松下門跡」を望む
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  4.久保田城跡 「二の丸跡」にて



久保田城、「二の丸跡」を望む
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「久保田城跡」、案内板です

1.中土橋門跡 2.大手門跡 3.穴門橋跡 4.穴門跡 5.唐金橋跡 6.松下門跡 7.安楽院.境目方役所.勘定所跡 8.鐘楼跡 9.黒門跡 10.長坂
11.二ノ門(長坂門)跡 12.物頭局 13.一ノ門(表門)跡 14.多門長屋跡 15.白洲跡 16.出シ書院跡 17.埋門跡 18.裏門坂 19.裏門跡 20.奥庭跡
21.隅櫓跡 22.帯曲輪門跡 23.土門跡 24.金蔵跡 25.不浄門跡 26.馬場跡 27.厩跡 28.大手北門跡




二の丸(二の丸広場)より、「表門(一の門)」を望む



二の丸(二の丸広場)にて



二の丸(二の丸広場)を望む



二の丸(二の丸広場)にて、千秋公園売店を望む



二の丸(二の丸広場)にて



二の丸(二の丸広場)を望む。左側が千秋公園売店です
   





  5.久保田城跡 「長坂門跡~表門」にて



久保田城跡、「長坂」を進む
長坂という名称は「長い石段の坂」からついているとのことです。




長坂より、「表門(一の門)」を望む



「長坂門(二の門)跡」にて
長坂門は、二の丸から本丸へ続く道の間にあった門で、「二の門」とも呼ばれていました




長坂より、左側「表門」、正面「御物頭御番所」を望む



左側「表門」、右側「御物頭御番所」を望む



久保田城、「表門(一の門)」を望む
 、
  6.久保田城跡 「御物頭御番所」にて



久保田城、「御物頭御番所」を望む。久保田城内唯一の遺構です。
久保田城内の長坂門(二の門)の開閉管理と城下の警備、火災の消火根度を担当していた物頭の詰所とのことです。




「御物頭御番所」を望む



「御物頭御番所」現地説明版です



「御物頭御番所」、中の様子です



入口、上り口にて



御物頭御番所にて



御物頭御番所にて



御物頭御番所にて



御物頭御番所より、表門入口を望む



御物頭御番所にて
 





  7.久保田城跡 「表門(一の門)」にて



表門(一の門)を望む
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表門(一の門)を望む。
表門は、2001年に絵図などの文献資料や発掘調査をもとに再建されました



表門(一の門)より、「本丸跡」を望む



「表門」の現地説明版です



「表門」にて



「表門」にて



「表門」にて



「表門」復元に使用した樹齢250年、茨城産の欅の根本です



佐竹氏の家紋、「扇に月」です(一般的には日の丸扇と呼ばれています)



本丸側より、「表門」を望む。
表門の構造は木造2階建て瓦葺きの櫓門です。
「表門」を望む 表門の「楚石」です 表門、本丸側にある碑です 表門と表門の楚石を望む
     【 後  記 】

 久保田城(千秋公園)へは、30数年ぶりに訪れました。当時は石垣など少なく久保田城というより、千秋公園に行ったという感じでした。城址を思わせる物として、秋田藩藩主「佐竹義堯」公の銅像( 1989(H1)年7月設置)が記憶に残っていました。
 大手門の堀を眺めながら中土橋門跡を通り、松下門の坂を上り二の丸跡に到着です。二の丸から長坂を登ると途中から2001年に復元され大きなた表門が見えてきます。この「表門」と表門入口にある「御物頭御番所」の組み合わせは千秋公園というより、久保田城らしい場所と思いました。        
(2022.06.08)





久保田城址、表門楚石の現地説明版です



久保田城址、表門の楚石です。ほぞ穴が見て取れます



表門より、「本丸跡」を望む



表門より、「長坂門跡」方面を望む



本丸跡より、「裏門坂」・「胡月池」を望む
  8.久保田城跡 「本丸跡」にて



久保田城、「本丸跡」を望む
本丸には、秋田藩二十万五千八百石の政務所や藩主の住居である本丸御殿などがあったところです



久保田城、「本丸」を望む



秋田藩第12代藩主、「佐竹義堯」公の銅像を望む
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秋田藩最後の藩主「佐竹義堯」公銅像の説明版です



銅像にあります、佐竹氏の家紋「扇に月」です(一般的には日の丸扇と呼ばれています)



出羽秋田藩第12代、最後の藩主「佐竹義堯」公の銅像です



第12代藩主「佐竹義堯」公のアップです






  お気に入り写真



久保田城、「表門(一の門)」を望む



久保田城内唯一の遺構、「御物頭御番所」の内部の様子です



本丸跡より、「表門(一の門)」を望む
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久保田城本丸にあります、秋田藩第12代藩主「佐竹義堯」公の銅像です



久保田城、大手門跡前にあります、秋田市内の「まちあるきMAP」です





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