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    (  日  本  )
  
  
 
第1集  世界文化遺産 絹産業遺産 ”富岡製糸場” を訪れる (1/2)
  


富岡製糸場、出入口にて
  
  
  
 
 


   < 富岡製糸場と絹産業遺産群(18)* >   富岡製糸場①L富岡製糸場(群馬)②L 富岡市街(群馬)L   田島弥平旧宅(群馬) 高山社跡(群馬) 荒船風穴(群馬)L  
 

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世界文化遺産 ”富岡製糸場と絹産業遺産群”
(世界遺産 2014年登録)


 富岡製糸場と絹産業遺産群は、世界経済の貿易を通じた一体化が進んだ19世紀後半から20世紀にかけて、高品質な生糸の大量生産の実現に貢献した技術交流と技術革新を示す集合体です。その結果、世界の絹産業の発展と絹消費の大衆化がもたらされました。

 この技術革新は、製糸技術の革新と、原料となる良質な繭の増産を支えた養蚕技術の革新の双方が相まって成し遂げられました。本資産は、製糸とこれを支える養蚕の技術革新の過程を示す構成要素を併せ持ち、生糸を生産する過程全体を今日に伝える顕著な見本です。

構成資産は次の4資産。

    1.富岡製糸場(とみおかせいしじょう)
    2.田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)
    3.高山社跡(たかやましゃあと)
    4.荒船風穴(あらふねふうけつ)

●1.富岡製糸場(とみおかせいしじょう)富岡市
   明治5年(1872)に明治政府が設立した官営の器械製糸場。和洋技術を混交して建てられた木骨レンガ造の繭倉庫や繰糸場などがほぼ完全にのこっています。民営化後も一貫して製糸を行い,製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。東置繭所・西置繭所・繰糸場の3棟が国宝,ほかに5棟と2つの附が重要文化財に指定され,併せて国史跡に指定されています。

 2.田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)伊勢崎市
   通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が,文久3年(1863)に建てた主屋兼蚕室。瓦葺き総二階建てで換気のための越し屋根を備えた構造は,近代養蚕農家の原型になりました。国史跡に指定されています。

 3.高山社跡(たかやましゃあと)藤岡市
   高山長五郎は,通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立しました。この地に設立された養蚕教育機関高山社は,その技術を全国及び海外に広め,「清温育」は日本の標準養蚕法になりました。国史跡に指定されています。

 4.荒船風穴(あらふねふうけつ)下仁田町
   岩の隙間から吹き出す冷風を利用した国内最大規模の蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設。冷蔵技術を活かし,当時年1回だった養蚕を複数回可能にし,繭の増産に貢献しました。国史跡に指定されています。

                                 (文化庁 HPより)

 1.世界文化遺産 ”富岡製糸場” を訪れる
 富岡製糸場
(とみおかせいしじょう) 


 世界文化遺産
 「富岡製糸場と絹産業遺産群」として2014年登録
 群馬県 富岡市
 (撮影 2015.09.20)
 (作成 2022.01.08)

 富岡製糸場は、明治政府の国策として明治5年(1872年)に建造されました。フランス技術を導入した生糸の大量生産によって、養蚕・製糸にかかわる一連の絹産業を発展させ、群馬県域をわが国有数の絹産業の地にしました。その先進的な技術は国内各地に伝播され、さらに養蚕の技術革新が進み、原料繭の大量生産に成功しました。
 1920年代には世界一の生糸輸出国になり、安価で良質な生糸を輸出し、高級繊維の絹をより身近な存在に変えました。戦後は、生糸生産のオートメーション化にも成功、自動繰糸機は全世界に輸出され、絹の大衆化に貢献、世界の絹産業を支え、産業の近代化に貢献した近代産業遺産としてはわが国では初登録となりました。
             
(ウィキペディアより) 
(Size : 44,568KB) 西繭置所(西繭置倉庫)を望む 富岡製糸場、”繰糸(そうし)所(繰糸場)”にて
  





 2.世界文化遺産 絹産業遺産 ”富岡製糸場” を訪れる



富岡製糸場、門を望む。見学者で混雑していました
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます


入口左側にあります入場券売り場です。
見学料は1,000円です
入口では沢山の人が記念写真を撮っていました
< 富岡製糸場について > 
 富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な機械製糸の工場です。1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存しています。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されています。また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録されています。

 時期によって「富岡製糸場」(1872年から)、「富岡製糸所」(1876年から)、「原富岡製糸所」(1902年から)、「株式会社富岡製糸所」(1938年から)、「片倉富岡製糸所」(1939年から)、「片倉工業株式会社富岡工場」(1946年から)とたびたび名称を変更しています。史跡、国宝、重要文化財としての名称は「旧富岡製糸場」、世界遺産暫定リスト記載物件構成資産としての名称は「富岡製糸場」となっています。

            
(ウィキペディアより)




富岡製糸場、「世界遺産・国宝・重要文化財・史跡」の表札です
google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示) Google!地図より(■カーソルセットで写真表示)
◆クリックでGoogle Mapが表示されます



東繭置所(東繭置倉庫)にて、アーチには設立時の「明治5年」(1872年)が掲げられています



富岡製糸場、東繭置所(東繭置倉庫)を望む



googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
■ 画像クリックでgoogle Mapが表示します ■



富岡製糸場、現地案内板(Map)です
 





 3.富岡製糸場 ”東繭置所(東繭倉庫)” にて



富岡製糸場、右側が「東繭置所(東繭置倉庫)」、左側は「女工館」です
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「東繭置所(倉庫)」を望む
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「東繭置所(倉庫)」を望む



「東繭置所(倉庫)」のアップです



「東繭置所(倉庫)」、展示室への出入口です



「東繭置所(倉庫)」の案内板です



「東繭置所(倉庫)」です




「東繭置所(倉庫)」のレンガです。
 レンガ(煉瓦)は、フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町(現甘楽町福島)の笹森稲荷神社東側に窯を築き瓦と共に焼き上げました
 



「東繭置所(倉庫)」の壁面です
 4.富岡製糸場 ”西繭置所(西繭倉庫)” にて



「東繭置所(倉庫)」から「西繭置き所(倉庫)」に進む



西置繭所(倉庫)を望む。残念ながら工事中でした



「西置繭所(倉庫)」を望む。これより先には近づけませんでした



「西繭置所(倉庫)」の案内板です



工事の様子です



西繭置所(倉庫)の保存修理工事は平成28(2016)年9月30日までとなっています



「西繭置所(西繭置倉庫)」を望む



「西繭置所(西繭置倉庫)」のアップです



「西繭置所(西繭置倉庫)」を望む
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 5.富岡製糸場 ”乾燥場・煙突” にて



富岡製糸場、「乾燥場」を望む



「乾燥場」の案内板です



富岡製糸場にて



「煙突」の案内板です



富岡製糸場、「煙突」を望む
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富岡製糸場、敷地内から見える「煙突」です
 、
 6.富岡製糸場 ”社宅群” にて



富岡製糸場、「社宅群」を望む



「社宅群」を望む



富岡製糸場、「社宅」を望む
 





 7.富岡製糸場 ”繰糸所 (繰糸工場)”にて (1)



繰糸所(繰糸場)入口にて
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「繰糸所(繰糸場)」の案内板です



「繰糸所(繰糸場)」入口にある表札です。表札は近年まで操業していたため「繰糸工場」となっていました



「繰糸所(繰糸場)」入口からの眺めです
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「繰糸所(繰糸場)」にて 「繰糸所(繰糸場)」にあったカンバンです。最近まで生産されていたことがわかります 「繰糸所(繰糸場)」の出入口です 富岡製糸場にて
       



繰糸所(繰糸場)にて、両側に「自動繰糸機」が並んでいます
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     【 後  記 】

 富岡製糸場は、物凄い工場であったことがわかりました。明治の初期(1872年(明治5年))に自動機を備えた世界最大級規模の工場を造ったことには驚かされました。そしてその工場が1987年(昭和62年)まで、115年間ほど操業していたことにはもっと驚かされました。本当に凄いことだと思いました。

 工場建設時、日本にはまだレンガがなかったとのこと、日本で初めてのレンガ造りの苦労話をテレビで見たことが有りました。良質の粘土のとれる群馬の甘楽町で焼き上げたとのことでした。技術の乏しい中、一つ一つ解決し、このような自動機を備えた工場を造り上げたことには、本当に凄いことだと思いました。

 ・1872年(明治5年)10月4日(11月4日)に官営模範工場の一つとして操業開始
 ・1987年(昭和62年)2月26日に操業を停止、同年3月5日に閉業式が挙行された 

                                  
(2022.01.12)





「繰糸所(繰糸場)」は、明治5年(1872年)設立とは思えない、明かり取りのため沢山のガラス窓で造られています



「自動繰糸機」の案内板です



「自動繰糸機」のアップです



「繰糸所(繰糸場)」の窓側の様子です。明るい日差しが差し込んでいます。右側は「自動繰糸機」です
 8.富岡製糸場 ”繰糸所 (繰糸工場)”にて (2)



「給繭器」です。給繭器は、正しい糸口の出た繭を運ぶ容器です
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繰糸所(繰糸場)に設置されているパネルです



繰糸所(繰糸場)に設置されているパネルです



繰糸所(繰糸場)にて



繰糸所(繰糸場)にて



繰糸所(繰糸場)にて






  お気に入り写真 



「西置繭所(倉庫)」を望む



「東置繭所(倉庫)」からの眺めです
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「繰糸所(繰糸場)」にて



「繰糸所(繰糸場)」の天井部の木組みです



「自動繰糸機」です。昭和41年頃設置された、「ニッサンHR自動繰糸機」です



「東置繭所(東置繭倉庫)」ガイダンス展示コーナーにあります、「世界文化遺産登録認定証」です





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