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伊達十万石の城下町 ”宇和島城” 案内 |
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【日本百名城 宇和島城】 |
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宇和島城は、941(天慶4)年の藤原純友の乱の時、宇和地方の警固使・橘遠保が板島と呼ばれていました現在の宇和島城城山に砦を構えたのが始まりと言われています。当時この場所は海に面した天然の要害であったとのことです。
記録上、本格的な城としての構えたのは、1546(天分5)年頃に家藤監物(けんもつ)によるもので、丸串板島城と称しました。
1595(文禄4)年に、築城の名手である藤堂高虎が入封すると、高虎は地名を板串を宇和島と改め、拠点として近代的な城郭を築城しました。このときの縄張りが現在見られる宇和島城の基本的な姿となっています。
1615(元和元)年、東北の名将伊達政宗の長男・伊達秀宗が10万石で入城し、これ以後は宇和島藩伊達家として明治維新を迎えました。基本的な城の構造は藤堂高虎時代のままですが、城下町は伊予南部(南予地方)の中心として拡大を続けたほか、2代目の伊達宗利は1666(寛文6)年に現在も国重要文化財として現存する天守閣を築造しています。 (日本の城、裏辺研究所HPより)
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■ 宇和島城、天守を望む (市内:港からのズームアップです) ■ |
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宇和島城、本丸路を望む。手前は”二之門跡”です。 |
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市内(港側)より、宇和島城を望む |
”桑折(こおり)氏武家長屋門”を望む |
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桑折(こおり)氏武家長屋門を城内より望む |
三之丸に建てられた武器庫(山郷土館:旧山里倉庫(きゅうやまざとそうこ))です |
宇和島城、本丸にて |
宇和島城、”上り立ち門”を望む |
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Yahoo!地図より |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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宇和島城は、桑折(こおり)氏武家長屋門より、入城しました。門を過ぎるとうっそうと茂った樹木の中の登りとなり、苔の石段と石垣の中の登りとなります。城山は標高は約80mとのこと、途中には井戸跡(井戸丸)があり、本丸まで登りが続きます。本丸跡には現存12天守の一つ、宇和島城天守がデーンと立っていました。1666年築城の天守、350年近くこの地で宇和島の街と宇和島湾を見守ってきたのだと思いました。
遠い四国の地、次回はどんな形で訪れることができるのか、考えながら城を後にしました。 (2014/1/12)
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宇和島城より、市内を望む |
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