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  日本の城に登る・歩く
    ( 日 本 百 名 城 )
  
  
    
[画像]  高知県高知市 ”高知城(84)” を訪れる
  
  
  
  
  
  


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  土佐藩 ”高知城” に登城する
 
 高知城 (こうちじょう)
 日本百名城 No.84
 高知県 高知市丸の内
 (撮影 2011.05.01)
 高知城(こうちじょう)は、土佐国土佐郡高知(現在の高知県高知市丸の内)にあった城で、城跡は国の史跡に指定されています。戦国時代以前は大高坂山城と称していました。

 現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成したものです。4層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれています。 (ウィキペディアより)   

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高知城、詰門を望む 高知城天守を望む
 



 
 高知城 ”追手門” より登城する
 

 【高知城の築城】

 高知城は高知市のある高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれた、梯郭式平山城です。山の南を流れる鏡川、北の江の口川をそれぞれ外堀として利用しています。

 戦国時代以前には大高坂山城(おおたかさかやまじょう)または大高坂城と呼ばれる城が築かれていました。現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成し、土佐藩庁が置かれていました。4層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれています。一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となりました。  
(ウィキペディアより)

 
■ 高知城、追手門(手前)と天守(奥)を望む ■
 
 
 高知城、追手門入口を望む 重要文化財、追手門を内部より望む
 
 高知城 ”天守” を望む
 
■ 高知城、天守を望む ■
  
 
高知城は、昭和9年(1934年):天守など15棟の建造物が国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定されておりました。
  
高知城、城内の風景です。右:三の丸石垣です。 高知城、板垣退助像と天守を望む
 
 高知城 ”天守” を望む
   
■ 高知城、重要文化財 ”天守”を望む ■
  
高知城、城内の風景です 高知城、”忍び返し”を望む
 
 高知城 ”天守と本丸御殿” を望む
 
【高知城 本丸の建物が完全に残る日本で唯一の城】

 高知城は本丸の建物が完全に残る唯一の城として知られています。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されています。現在これらは高知県の所有物となっています。また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されています。   
(ウィキペディアより)

 
■ 本丸御殿を望む ■
  
高知城、本丸御殿から眺めです(1) 高知城、本丸御殿からの眺めです(2)
 
 
高知城の堀を望む 山内一豊の妻、千代の銅像を望む 三ノ丸、石垣を望む 天守と詰門を望む
  
 
 高知城、天守からの眺望
  
■ 天守より、東側:高知市内を望む ■
   
高知城天守より、城内(西側)を望む
   
天守からの眺望です。詰門を望む。 高知城、天守にて
  
  
  
天守入口に展示されています「功名が辻} 天守内部(正殿)の様子です 天守内部に展示の高知城模型です 天守最上階の様子です
  
重要文化財、黒門を望む 天守内部の階段です 東多門に展示されtいます 廊下門、資料が展示されています
  
 土佐藩 ”高知城” 案内
  
【日本百名城 高知城の石垣】

 高知城の石垣は、近江の技術者集団・穴太衆(あのうしゅう)によるもの。雨の多い土地柄を考慮し、崩れにくく排水能力も高い野面積が多く採用されている。見かけは雑にみえるが、非常に頑丈な築き方である。
 なお、城内では杉ノ殿にある石垣と鉄門にある打込ハギの石垣が美しく必見。三ノ丸では、長宗我部元親がこの地で築城した際の石垣が発掘され、見ることができる。

 高知城をめぐる堀のうち、現在残されている堀は約1/3足らず。また、堀の幅も現在では半分近くになっているほか、城のそばにあった土塁も撤去されているなど江戸時代とは大きく様子が変わっている。昔の城の北側を流れる江ノ口川から水を引き入れていた。  
(高知城パンフレットより)

  
■ 重要文化財、詰門を望む ■
   
三ノ丸にあります、高知城の前身、大高坂山城の石垣です。発掘跡が展示されています。
   
山内一豊の銅像です。大きな銅像です。 高知城、追手門前の風景です
 
 城下の様子です 城下の歩道にありました。可愛い土佐犬です  高知城にて 山内一豊の銅像です
 
  
  
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
  
           
後   記   
 高知城は、城そのものより土佐藩の印象が強い、特にどうしても幕末の武市瑞山、坂本竜馬、中岡慎太郎等の活動とかぶってしまい、城そのもののイメージはあまりありませんでした。

 城内の石垣の配置、登城のための通路、広さ、そして天守の磨き抜かれた木造の床・柱、一つ一つが江戸時代から引き継がれた本当の城を見る思いがしました。重要文化財に15棟が指定されており、遺構として現存していることもそう感じるのかもしれません。昔の城はこういう感じなんだなと思いながら、城内を散策してまいりました。

 今回は雨の中の散策でしたが、次は秋とか季節を変えてきて見たいと思いました。自分のなかでは好きな城の一つとなりました。  
(2013/11/30)

 
高知城、天守にて。年代を感じさせる重厚さがありました。
 


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