Ver 11.1-2520L
  
 
 
  ( 日 本 100名 城 : 四 国 地 方 )
  
  
 
 愛媛県今治市 「今治城 (日本100名城79番目)」 に登城する
  


吹揚公園北交差点より、今治城「武具櫓」を望む。左側は「吹揚参道」です 
  
  
  
 
 




   < 日本100名城(四国地方) >  76徳島城(徳島)*  77高松城(香川)  78丸亀城(香川)*  79今治城(愛媛)L  80湯築城(愛媛)  81松山城①L 天守閣②L松山城③(愛媛)L  82大洲城(愛媛)*  83宇和島城(愛媛)  84高知城(高知)  


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【 目 次 】
 1.愛媛県今治市 「今治城」に登城する
 2.内堀に浮かぶ「今治城」を望む

 3.今治城 「吹揚参道~鉄御門」にて
 4.今治城 「鉄御門~天守」にて
 5.今治城 「天守」にて
 6.今治城 「吹揚神社」にて
 7.今治城 「二の丸・三の丸」へ
 8.今治城 「山里櫓~内堀遊歩道」にて
 お気に入り写真
  1.愛媛県今治市 「今治城」に登城する
 今治城
 (いまばりじょう)


 日本100名城79番目
 ・日本三大水城
 愛媛県 今治市
 (撮影 2011.05.02)
 (作成 2022.09.04)

 今治城(いまばりじょう)は、伊予国越智郡今治(四国・愛媛県今治市通町三丁目)にあった日本の城です。1953年(昭和28年)10月9日に愛媛県史跡に指定されています。別称「吹揚城(吹上城)」ともいわれています。
 慶長7年(1602年)、藤堂高虎によって築城開始され、慶長9年(1604年)に完成しました。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっており、日本三大水城の一つに数えられています。
  二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷、城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所と非常に広大な造りでした。慶長14年(1609年)、高虎が伊勢国津城に移封となり、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わっています。

 今治城では新たに層塔型天守を創建した。これは矩形の天守台を造成し、その上に規格化された部材を用いて全体を組み上げたもので、構造的な欠陥が解消されるばかりか、各階別に作事が可能なことから工期も短縮できた。以後、高虎がこの様式を江戸城をはじめとする城郭普請に採用したことで、高虎の新型天守は近世における天守建築の主流となりました。

 広大な城郭は江戸260年間保たれましたが、明治維新以後、廃城令施行前の明治2年(1869年)に廃城され、ほとんどの建築物が破却されました。このとき二の丸北隅の武具櫓は収蔵物とともに残されましたが、明治4年(1871年)に火災が発生した際、内部の火薬に引火して爆発炎上し破壊されました。
                  (ウィキペディアより)
(Size : 64,088KB) 今治城、「天守」・「武具櫓」を望む 今治城、「天守」を望む
  





  2.内堀に浮かぶ 「今治城」を望む



黄金通りと天保山通りの交差点付近からより、今治城を望む。
今治城は、築城の名手といわれた藤堂高虎が手掛けた全国でも珍しい海水を引き入れた海岸平城です



今治城、海水の堀を望む。右手前は「南隅櫓跡」になります

「吹揚公園」北交差点より、今治城武具櫓を望む。左側は「吹揚参道」です
< 今治城天守の存否について > 
 今治城の天守は、一次資料が不足しているため、築城当時に建造されたか否かが確定されていません。 藤堂家の家譜『宗国史』巻二には「城中に五層の高楼を建て、府下を五街に開き」と記述されているが、敷地内に天守の遺構が確認されていないためです。

 天守は天守台と呼ばれる基壇を造り、その上に建てられることがほとんどであるため、天守台の遺構が発見されていない今治城の天守は存在が否定されていました。これについて三浦正幸は、築城された頃は整った平面矩形の天守台を築くことが技術的に困難であったため、天守は不整形な矩形の天守台の上に建てられていることがほとんどであるが、天守台を築かず本丸中央付近の地盤に直に基礎を敷き建てることで、より整形された矩形を造る必要があった層塔型天守の建造を可能にした、としています。

 また、今治城の天守は、藤堂高虎によって上野城に移築する目的で解体され、慶長15年(1610年)の亀山城(丹波国)天下普請の際に徳川家康へ献上され、亀山城へ移築されたとする説があります。この説は『寛政重修諸家譜』の「慶長十五年丹波口亀山城普請のことうけたまわり、且今治の天守をたてまつりて、かの城にうつす」という記述が根拠となっています。
このため、存在したとしても慶長9年(1604年)に竣工し、慶長15年(1610年)ごろに亀山城に移されているので、最長でも約6年間ほどしか存在していなかったことになります。

 いずれにしても、天守の存在を示す一級資料や遺構等の具体的な裏づけとなるものは確認されていないため、天守が建てられたかについて結論に至っていない。
しかしながら、本丸には江戸時代を通じて天守の代用とされた北隅櫓が設けられていました。北隅櫓には千鳥破風が一つだけ付けられ、天守を意識した外観となっていました。 また、本丸の隅には他にも2基の二重隅櫓が存在し、多門櫓によって連結されていました。
            
(ウィキペディアより)



今治城、「鉄御門・武具櫓」を望む



今治城「天守」を望む。左側は「武具櫓」です



今治城、「御金櫓」を望む(天保山通りにて)
内堀は船が自由に出入りできるように幅約60メートルとのこです
「吹揚参道・武具櫓」を望む 今治城、「武具櫓」と「天守」を望む 天保山通りより、「天守」を望む 今治城、「武具櫓」を望む。(吹揚公園」北交差点にて)
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今治城、天保山通りより「御金櫓」を望む



天保山通りより、「天守」を望む



今治城、「御金櫓」を望む



googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
■ 画像クリックでgoogle Mapが表示します ■



恵美須鯉池町通りより、「今治城」を望む。左側は「武具櫓」、右側は「山里櫓」です



吹揚公園北交差点より、「武具櫓」のアップです。後方が天守です



今治城、「吹揚参道」、「武具櫓」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます
 





  3.今治城 「吹揚参道~鉄御門」にて



今治城、「吹揚参道・天守・武具櫓」を望む



今治城、「吹揚参道・天守・武具櫓」のアップです



今治城入口にて。吹揚神社の参道、「吹揚参道」を望む



「吹揚参道」を進む



吹揚参道より、「御金櫓」を望む



吹揚参道より、「武具櫓」を望む



今治城、枡形虎口にて、右側が「鉄御門(くろがねごもん)」です



今治城、枡形虎口にあります、「鉄御門・今治城」の説明板です



今治城、枡形虎口にあります「鏡石」です。築城奉行の功績を称えて『勘兵衛石』と呼ばれています。
幅4.5m、高さ2.3m、重量16tもの堂々たる巨大石です。

  4.今治城 「鉄御門~天守」にて



今治城の「石積み」です



今治城、「鉄御門(くろがねごもん)」を望む



今治城、「鉄御門(くろがねごもん)」を城内より望む
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平成17年発掘調査で見つかった「三の丸跡黒鉄御門遺構楚石」の説明板と楚石です



正面は平成17年発掘調査で見つかった「黒鉄御門遺構の楚石」です。右側が再建された「黒鉄御門」です



今治城にて



今治城、「天守」を望む



今治城、「天守」へ進む



「今治城案内図」です
   





  5.今治城 「天守」にて



今治城、「天守」を望む。
天守(模擬天守)は、1980年に再建され日本初の層搭型五層天守でコンクリート造りです



今治城の説明板です。◆カーソルセットで説明内容が拡大します



今治城、「天守」への入口です。入場料は、400円(2011年)でした



天守内の様子です
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今治城、「天守の模型」が展示されていました

「鎧」の展示です





「武具」の展示です

「鯱」の展示です





「鬼瓦」の展示です

「鬼瓦」の展示です





「天守」の展示室にて

「天守」の展示室にて

「天守」の展示室にて



「天守」の展示室にて



「天守」の展示室にて



今治城、「天守最上階(5階)」にて



「天守最上階」からの眺望です。再建「山里櫓」を望む



「天守最上階」からの眺望です。今治港・瀬戸内海が望めます。
手前は「藤堂高虎像」、後方の櫓は「武具櫓」、左上は「今治港」です





「天守最上階」からの眺望です。
城内の左側に「蒼吹の井戸」、右側に「今治綿業の父「矢野七五郎」の像」が望めます




「天守最上階」からの眺望です。「御金櫓」が望めます



「天守最上階」からの眺望です。右側は「吹揚神社」と「手水舎」、左奥は「住吉神社」です



「天守最上階」からJR今治駅方面を望む



天守最上階より、遠くの「来島海峡大橋」を望む



今治城、「天守」にて



「天守」出入口からの眺めです
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  6.今治城 「吹揚神社」にて



吹揚神社境内にて、「手水舎」、「天守」を望む



吹揚神社境内、天守側からの眺めです。「手水舎」、その後方の赤い鳥居は「吹揚稲荷神社」です



今治城、「吹揚神社」を望む。後方は「本殿」です



吹揚神社、「本殿」を望む



「吹揚神社」の説明板です。◆カーソルセットで説明文が拡大します



吹揚神社、「本殿」を望む



「吹揚稲荷神社」を望む



「吹揚稲荷神社」の鳥居を望む



「吹揚稲荷神社」を望む



今治城、「住吉神社」を望む
 





  7.今治城 「二の丸・三の丸」にて



今治城、「天守」を望む



今治城にて



今治城にて



今治城にて



今治城にて



二の丸の東隅にある二重櫓「御金櫓」です。金蔵の役割を果たしていました。
現在は、郷土に縁のある芸術家たちの作品を展示する現代美術館のようになっています




「蒼吹の井戸」を望む



「蒼吹の井戸」を望む



「蒼吹の井戸」を望む



城内にある、「藤堂高虎公像」を望む



城内にある、「藤堂高虎公像」です



今治城、「天守」を望む



二の丸北西隅の二重櫓「山里櫓」です



「山里櫓」からの眺めです





城内にある、今治綿業の父「矢野七五郎」の像です

天守への、「入場券」です

「天守」前にて

「天守」前にて
     【 後  記 】

 今治城は、海水を引き込んだ内堀と石垣、そして天守と櫓のとても美しい城と思いました。内堀をゆっくりと一周しました。途中平山郁夫画伯の「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」の案内板もあり、どの角度からも城の美しさを感じることができました。

 天守・櫓・石垣の美しさは、格別ですが、天守は史実に基づかない模擬天守とか、御金櫓(東隅櫓)の改修では、直下の石垣には本来は存在しなかった石垣の反りが施されてしまっているなど、色々と話が出ています。それでも現代の人に圧倒的な美しさを提供するために再建したのだと思いました。とても美しい見栄えのする城と思いました。        
(2022.09.04)





今治城、「城碑」にて



今治城、「城碑」前より「天守」を望む



今治城、「天守」を望む



今治城、「天守」を望む
  8.今治城 「山里櫓~内堀遊歩道」へ



二の丸西隅に再建された「山里櫓」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



二の丸西隅の「山里櫓」、「天守」を望む



「山里櫓」、「天守」を望む



黄金通りより、「山里櫓」、「天守」を望む



黄金通りの遊歩道にあります、平山郁夫画伯の「しまなみ海道五十三次 スケッチポイント」の案内板です



黄金通りより、今治城を望む。左側「山里門・ 山里櫓」、「天守」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



黄金通りより、「山里門・ 山里櫓」を望む



黄金通りより、今治城の堀を望む。 石垣の上は「南隅櫓跡」です



黄金通りより、今治城石垣を望む。 左側は「西隅櫓跡」、右側は「南隅櫓跡」です



黄金通りより、今治城を望む。 左側は「西隅櫓跡」、右側は「南隅櫓跡」です





  お気に入り写真



今治城、「天守」を望む



今治城、「天守」を望む



今治城、天守からの眺望です。「藤堂高虎銅像」を望む



恵美須鯉池町通りより、「今治城」を望む。左側は「武具櫓」、右側は「山里櫓」です
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今治城、「天守」を望む。美しい姿です



平山郁夫画伯の「しまなみ海道五十三次 スケッチポイント」からの眺めです



黄金通りの遊歩道にあります、平山郁夫画伯の「しまなみ海道五十三次 スケッチポイント」の案内板です





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