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Ver.4 |
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日本の城に登る・歩く |
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日本100名城 関東の城 (No.1 〜 No.8) |
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徳川御三家 水戸徳川家の居城 ”水戸城”を歩く |
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水戸城 (みとじょう) |
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日本百名城 No.14 |
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茨城県水戸市 |
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(撮影 2009.03.07) |
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水戸城(みとじょう)は、現在の茨城県水戸市三の丸にあった城である。徳川御三家の一つ「水戸徳川家」の居城である。茨城県指定史跡。三の丸にある藩校・弘道館は国指定特別史跡。現在の城跡は文教地区となっており、水戸一高の他、水戸三高、水戸市立水戸第二中学校、水戸市立三の丸小学校、茨城大附属小・幼稚園が建っています。
(ウィキペディアより) |
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県立水戸一校内に移築された「水戸城薬医門」 |
水戸城大手門付近を望む |
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群馬県高崎市 ”箕輪城” を訪れる |
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箕輪城 (みのわじょう) |
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日本百名城 No.16 |
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群馬県 高崎市 |
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(撮影 2011.07.23) |
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箕輪城(みのわじょう)は、群馬県高崎市箕郷町にある平山城跡で、国の史跡に指定されています。
箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城であります。城の西には榛名白川、南には榛名沼があり、両者が天然の堀を形成していました。城地は東西約500メートル、南北約1,100メートル、面積約47ヘクタールにおよぶ広大なものでありました。現在にのこる遺構として、石垣・土塁・空堀の跡が認められます。 (ウィキペディアより)
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箕輪城、本丸跡を望む |
箕輪城祉、搦手口からの風景 |
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”川越城(かわごえじょう)”を歩く |
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川越城 (かわごえじょう) |
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日本百名城 No.19 |
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埼玉県川越市 |
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(撮影 2011.05.22) |
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川越城は、武蔵野台地の北東端に位置する平山城です。1848年(嘉永元年)に建られた本丸御殿の一部が現存しています(埼玉県有形文化財)。二の丸跡は川越市立博物館・川越市立美術館となっています。三の丸跡地である埼玉県立川越高等学校の近くに小高い富士見櫓跡があり御嶽神社と浅間神社が建っています。
川越城には天守閣はなく、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりをしていました。富士見櫓は三層と考えられていましたが、近年発見された詳細な図面から、二層の可能性もあるとのことです。 (ウィキペディアより)
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川越城本丸御殿を望む |
川越城大手門跡を望む(後方は川越市役所です) |
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”佐倉城”を歩く |
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佐倉城 (さくららじょう) |
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日本百名城 No.20 |
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千葉県佐倉市市 |
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(撮影 2010.04.04) |
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佐倉城は戦国時代、本佐倉城主千葉親胤が築城を開始したが、親胤が暗殺されたために工事は中止されました。1610年(慶長15年)に、徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城が再開され、佐倉城が完成しました。江戸時代は佐倉藩の藩庁が置かれていました。
城主は江戸幕府の要職に就くことが多く、初期のころは城主の入れ替わりが多かったが、堀田正俊の孫・堀田正亮が11万石で再入封してからは、安定した藩の経営を行っていました。
城郭は比較的質素で石垣を一切用いず、干拓以前の広大だった印旛沼を外堀の一部にし、三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としていました。 (ウィキペディアより) |
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佐倉城 ”本丸跡”を望む |
佐倉城 ”馬出し空堀” を望む |
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”江戸城 (1) (外堀)” を歩く |
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江戸城 (えどじょう) |
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日本100名城 No.21 |
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東京都千代田区 |
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(撮影 2008.03.29) |
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江戸城(えどじょう)は、東京都千代田区千代田にある城で、別名は千代田城(ちよだじょう)ともいいます。江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継でした。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、後の江戸本丸・二の丸辺りの台地上に居館を置いていたとのことです。1457年に扇谷上杉氏の家臣である太田道灌が江戸城を築城し、今日い至っています。 (ウィキペディアより) |
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江戸城を望む |
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”江戸城 (2) (本丸跡:東御苑)” を歩く |
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江戸城 (えどじょう) |
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日本百名城 No.21 |
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東京都千代田区 |
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(撮影 2008.03.29) |
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江戸城(現在の皇居東御苑)は、徳川将軍家、十五代のの居城であり、江戸幕府の最高政庁でありました。明治維新期に皇室が京都御所から江戸城に転居し、それ以降宮城・皇居となり現在に至ってまする。総構え全体の面積は世界最大の城郭である。
(ウィキペディアより)
江戸城は、皇居部分(西の丸と吹上庭園)に立ち入ることは出来ませんが、旧江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に開放しています。入園は無料です。東京の真ん中が、どのくらい素晴らしいか、実感できます。 |
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江戸城を望む |
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中世の山城 ”八王子城” に登る |
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八王子城 (はちおうじじょう) |
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日本百名城 No.22 |
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東京都八王子市 |
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(撮影 2009.03.28) |
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八王子城(はちおうじじょう)は、戦国時代の終わり頃(16世紀後半)、北条氏照によって築かれた山城です。広大な山地、その山麓、そして城山川に沿った谷間など、変化に富んだ地形を、巧みに利用して築城されています。
八王子城は、戦国時代を代表する城跡として、現在約154haの範囲が国の史跡に指定され、保護されています。 (現地案内板より) |
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八王子城 本丸跡 |
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小田原のシンボル ”小田原城”に登る |
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小田原城 (おだわらじょう) |
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国の史跡
日本百名城 No.23 |
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神奈川県小田原市 |
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(撮影 2008.03.30) |
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小田原に初めて城を築いたのは小早川隆景(安芸)の先祖、土肥一族の小早川氏とのことである。明応4年、北条早雲が小田原城を手中に治める。早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と5代に渡り拡張工事を続け、難攻不落の城郭を造った。天正18年、豊臣秀吉の小田原攻めで「小田原評定」の末、時の城主・氏直が降伏して落城する。
(ウィキペディアより)
明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災により崩れ落ちてしまった。現在の天守閣は、昭和35年(1960)5月に、市制20周年の記念事業として復興したものです。 |
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小田原城天守より真鶴湾を望む |
小田原城を望む |
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