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     日本の城に登る・城を歩く
(撮影:2009年03月29日)
 

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No.1  江戸城(皇居 東御苑)      (東京都:千代田区)
 

 現在の江戸城は、旧江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に開放しています。
 江戸城は徳川将軍家、十五代の居城であり、江戸幕府の最高政庁でありました。明治維新期に皇室が京都御所から江戸城に転居し、それ以降宮城・皇居となり現在に至ってまする。総構え全体の面積は世界最大の城郭であります。
(ウィキペディアより)

  
 


No.2  汐見坂にて    
 
 汐見坂は、二の丸と三の丸をつなぐ坂道でした。その昔、今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができました。坂の上には、汐見坂門が設けられていました。 (現地案内刃板より)
 
 
           汐見坂案内  汐見坂全景

No.3  天守閣跡 天守台にて 
 

 江戸城の最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しました。その後、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣か完成しました。外観5層、内部6階で、地上からの高さは58bありました。しかい、わずか19年後の1657年、明暦の大火で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。 (現地案内より)
天守台を望む  天守台より天守跡を望む (拡大)  
 
天守台 天守台より武道館を望む 天守台より眼下の桔梗門を見る


No.4  天守跡〜富士見多聞〜中雀門
 

 「多聞」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれました。鉄砲や弓矢が収められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことができました。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万一に備えられていました。(現地案内より)

  
  
 

 石室は、抜け穴とか、金蔵とかいろいろ説がありますが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際、大奥用の調度などをおさめたところと考えます。内部の広さは、20uほどあります。伊豆石(伊豆半島産の安山岩)で作られており、天井には長い石の板がつかわれています。(現地案内より)
中雀門の石垣 北桔橋門全景    松の廊下跡
 
 
 石室 中雀門石垣/桃華楽堂 中雀門  富士見多聞


No.5  同心番所〜中乃門・百人番所〜大番所 (1)  
 
 
 ”百人番所”とは、江戸城の正門だった大手門から、二乃丸へ通じる要所、大手三乃門の間に設けられた番所です。この百人番所では、甲賀組,根来(ねごろ)組、伊賀組、二十五騎組の4組が護りを固めていました。各組には、同心百人ずつが配属されていたところから百人番所の名が生まれたとのことです。
百人番所 大番所 中乃門


No.6   同心番所〜中乃門・百人番所〜大番所 (2)
 
 「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の3つが残っています。中の門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上がったところが本丸の入口で、中雀門がありました。(現地案内板より)
 百人番所 大番所@  大番所A
 
百人番所
同心番所      百人番所正面 中乃門全景
 
 


No.7  諏訪の茶屋〜二の丸庭園 

 諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在御所等のある一帯)にありました。明治45年、吹上御苑に再建されました。明治期の茶室風の建物として優雅な外観をもっているため、昭和43年、皇居東御苑の整備にあたり移築されたとのことです。

 
 
 
 
 二の丸庭園@ 二の丸庭園A  二の丸庭園B



No.8  ”江戸城” の案内図  

 江戸城(えどじょう)は、東京都千代田区千代田にある城で、別名は千代田城(ちよだじょう)ともいいます。江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継でした。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、後の江戸本丸・二の丸辺りの台地上に居館を置いていたとのことです。江戸氏が15世紀の関東の騒乱で没落すると、1457年に扇谷上杉氏の家臣である太田道灌が江戸城を築城し、今日い至っています(ウィキペディアより)

      
Yahoo地図より             Yahoo地図より   
 
 
 
 江戸城(えどじょう)は、1457年に扇谷上杉氏の家臣である太田道灌が江戸城を築城しました。道灌の江戸城はやがて後北条氏の支配下に入り、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に後北条氏は開城しました。徳川家康は秀吉より後北条氏旧領の関東六州(武蔵・相模・伊豆・上野・下総・上総)を与えられ、駿府(静岡)から転居し、天正18年8月1日(1590年8月30日)に公式に入城し、居城としました。(ウィキペディアより)
 
 江戸城は平成18年(2006年)4月、日本100名城(21番)に選定されています。通常、皇居部分(西の丸と吹上庭園)に立ち入ることは出来ませんが、旧江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に開放しています。ここは入園は無料です。東京の真ん中が、どのくらい素晴らしいか、実感できます。


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