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関東7名城の一つ ”川越城” を歩く |
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川越城 (かわごえじょう) |
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日本百名城 No.19 |
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埼玉県川越市 |
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(撮影 2011.05.22) |
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川越城は、武蔵野台地の北東端に位置する平山城です。1848年(嘉永元年)に建られた本丸御殿の一部が現存しています(埼玉県有形文化財)。二の丸跡は川越市立博物館・川越市立美術館となっています。三の丸跡地である埼玉県立川越高等学校の近くに小高い富士見櫓跡があり御嶽神社と浅間神社が建っています。
川越城には天守閣はなく、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりをしていました。富士見櫓は三層と考えられていましたが、近年発見された詳細な図面から、二層の可能性もあるとのことです。 (ウィキペディアより)
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(Size: 1,030KB) |
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川越城を望む |
川越城大手門跡を望む(後方は川越市役所です) |
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川越城 ”本丸御殿” を望む |
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川越城本丸御殿は、川越城唯一の現存建物です。1,848年(嘉永元)、時の城主・松平斉典の造営によるものです。16棟、1,025坪の規模を誇っていましたが、明治4年廃城となり、次第に解体され、現在は、大玄関・車寄せ部分、36畳の大広間、櫛形塀、家老詰所が残っています。 |
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本丸御殿を三芳野神社側から望む |
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本丸御殿 ”大玄関”を望む |
本丸御殿の石碑 |
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川越城 ”本丸御殿” を歩く |
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川越城は長禄元(1457)年、扇谷上杉持朝が太田道真・道灌に作らせたといわれています。以後6代、80年に渡って扇谷上杉氏の居城として栄えましたが、朝定の代になって、関東へ進出してきた小田原城を拠点に勢力を伸ばした北条氏に敗れ、川越城を奪われてしまいます。
その後、川越城は北条氏の北武蔵支配の拠点となっていきました。天正18(1590)年、小田原の陣によって北条氏が滅ぶと、関東には徳川家康が入封し、川越城には家康の家臣、酒井重忠が1万石で入城しました。
慶長5(1600)年、関ヶ原合戦に勝利した家康は、翌慶長6年に重忠を上野厩橋城3万3千石に移し、川越城には駿河田中城より酒井忠利が2万石で入封しております。
(帝國博物学協会HPより)
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本丸御殿にて(1) |
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本丸御殿にて(2) |
本丸御殿にて(3) |
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川越城 ”大手門跡” を望む |
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西大手門跡を望む(左太田道灌の銅像、右奥は川越市役所です) |
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太田道灌像を望む |
市役所前にある、川越城図です(◆カーソルセットで地図が拡大されます) |
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川越城 ”中ノ門堀”跡 を望む |
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■ 川越城、中ノ門堀跡を望む ■ |
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門の内部の様子、堀跡を見ることができます。 |
住宅地の中に有る、堀跡を望む |
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川越城 ”本丸御殿の瓦” |
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【川越城本丸御殿の保存修理工事】
川越城本丸御殿は、平成20年度から平成22年度にかけて約2年半の工期をもって保存修理工事を実施しました。
○総工事費 約2億5千万円
○工事期間 平成20年10月20日から平成23年2月18日まで
<保存工事例(@屋根の修理)>
雨漏りが著しかったため、瓦を一度撤去して屋根の下地から貼り直しました。瓦は破損したものを選別して、再用しましたが、不足した分は新たに作りました。また、南側の鬼瓦は創建当初には無く、暫定的に別の瓦が据えらていたようですが、今回、北側の創建当初の鬼瓦の複製を作って、設置しました。 (川越市立博物館HPより)
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■ 本丸御殿の瓦の美しさは冴え渡っています ■ |
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”川越城” 案内 |
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本丸御殿は、1848年(嘉永元年)、松平斉典の17万石時代に建てられた入母屋造りで、豪壮な大唐破風と霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せをもつ建物です。36畳の大広間は、板間で玄関と区切られ、さおべり天井で奥行3間の座敷には9尺の廊下が四方を囲っています。建坪は165坪で、当時は16棟、1025坪の規模をもっていました。
明治に入ると廃城令で多くの建物は解体され、現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみとなっています。本丸御殿大広間は川越城の他には高知城にしか現存せず、全国的に見ても貴重な遺構であります。
家老詰所については、解体後上福岡市(現:ふじみ野市)の民家に移築されていたのを再度移築したものです。位置は以前とは異なっていますが、1991年(平成3年)に県指定有形文化財に指定されています。 (ウィキペディアより) |
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本丸御殿を市立博物館側から望む |
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■本丸御殿竣工ののぼりです(竣工2011/3/23) |
■二の丸跡にあります、川越市立博物館を望む |
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本丸御殿駐車場です |
三芳野神社、童謡「通りゃんせ」の歌詞発祥の地です |
三芳野神社の案内板 |
中ノ門堀跡を望む |
本丸御殿、家老詰所(リアルな人形です) |
川越城のマスコット(?) |
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Yahoo!地図より |
■カーソルセットで航空写真を表示します。 |
■カーソルセットで航空写真を表示します。 |
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後 記 |
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小江戸川越には、何度か訪れています。今回は川越城の本丸御殿の保存修理工事が終わり、2011(平成23)年3月23日より一般公開されたことを機に訪れてきました。
川越城は市役所のある、大手門跡から中ノ門の堀跡、本丸御殿と城跡が一般の住宅地になっているのには驚かされました。また、本丸御殿は、修理前の状態を見ていませんでしたのでどこがどうなったのかはわかりませんでした。 ただ本丸御殿は瓦の美しい建物だと思いました。大きな屋根に整然と整えられた瓦は太陽を浴びまことに美しく見えました。 (2012.01.20)
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