Ver 5.1s
  
 
 
  日本の城に登る・歩く
    ( 日 本 百 名 城 )
  
  
    
[画像]  日本100名城  中国地方の城 (No.1 〜 No.3)
  
  
  
  
  
  

  
 (64) 島根県 ”松江城” に登る
 
 松江城 (まつえじょう)
 日本百名城 No.64
 島根県松江市
 (撮影 2009.08.09)
 松江城(まつえじょう)は島根県松江市殿町にある城です。別名・千鳥城。国の史跡に指定されています。指定管理者制度に則り、NPO法人松江ツーリズム研究会が運営をしています。日本に12箇所しか現存しない、江戸時代以前建造の天守を有する城郭の一つであります(現存天守)。高さ30メートル、5層6階の天守は桃山様式の天守として築城当時のまま現存しており、国の重要文化財に指定されています。 (ウィキペディアより)     
(Size : 1,392KB) 
松江城天守より宍道湖を望む 松江城天守を望む
 

  
 (65) 島根県 ”津和野城” に登る
 
 津和野城 (つわのじょう)
 日本百名城 No.66
 島根県鹿足郡津和野町
 (撮影 2013.04.27)
 津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの山上、島根県鹿足郡津和野町後田にある山城です。江戸時代には津和野藩亀井氏の居城でありまたが、藩庁は急峻な山城を避け山麓の津和野盆地に置かれていました。 (ウィキペディアより)   
(Size : 2,182KB) 
津和野城、人質櫓跡を望む 津和野城、三十間台より城下を望む
 

  
 (68) 岡山県 現存12天守 ”備中松山城” に登る
 
 備中松山城
 (びっちゅうまつやまじょう)
 日本百名城 No.68
 岡山県 高梁市
 (撮影 2014.03.22)
 松山城(まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下にある日本の城(山城)で、別名、高梁城(たかはしじょう)といわれています。国の史跡、日本100名城に指定されています。

 四国の愛媛県松山市にあった松山城 (伊予国)と混同を避けるため、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ばれています。
 城跡は江戸時代に建造された天守や二重櫓などが国の重要文化財に指定されています。標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある城です。     (ウィキペディアより)   
(Size : 2,954KB) 
備中松山城、天守より二重櫓を望む 備中松山城、天守を望む
 

  
 (69) 岡山県 桃太郎伝説の原点 ”鬼ノ城” に登る
 
 鬼ノ城 (きのじょう)
 日本百名城 No.69
 岡山県 総社市
 (撮影 2014.03.22)
 鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん)、標高397メートルにある神籠石式の山城です。城跡は国の史跡に指定されています。
 
 鬼ノ城は、鬼城山のすり鉢形の山頂周囲を石垣・土塁によって城壁が取り巻いている城です。障壁の周囲は2.8キロメートルに渡り、面積は約30ヘクタールとなっています。
城壁の要所には、門、城外への排水機能を持つ水門を設けています。
 門は東西南北4ヶ所、水門は6か所に確認され、城の内部には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が7棟、烽火場の可能性が指摘される焚き火跡、水汲み場、鍛冶場、工事のための土取り跡などが確認されていいます。     (ウィキペディアより)   
(Size : 2,629KB) 
鬼ノ城、屏風折れの石垣を望む 鬼ノ城、西門を望む
 

  
 (73) 広島藩42万石のシンボル ”広島城” を歩く
 
 広島城 (ひろしまじょう)
 日本百名城 No.73
 広島県広島市
 (撮影 2009.08.10)
 広島城(ひろしまじょう)は、広島県広島市中区基町にある城郭で、鯉城(りじょう)ともいまれています。国の史跡に指定され、広島城全域が広島城址公園となっております。復元された大天守は歴史博物館として利用されています。
 広島市西区己斐の地名は延喜式で嘉字地名とされる前は「鯉」であったと言われ、ここから鯉城の別名がついたともいわれています。またこの別名から「広島東洋カープ」のチーム名が付けられ、カープは英語で鯉の意味であります。   (ウィキペディアより) 
(Size : 1,253KB) 
広島城を望む 被爆樹木 ユーカリを望む(左側の樹木)
 

  
 (74) 山口県岩国市 ”岩国城” に登る
 
 岩国城 (いわくにじょう)
 日本百名城 No.74
 岩国城 (いわくにじょう)
 (撮影 2013.04.29)
 岩国城は、江戸時代初期は岩国領の居城となり、山城である横山城は本丸を中心として南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、ほかに水の手などの曲輪が配置され、麓には、「御土居」が築かれた。本丸には4重6階の天守などを上げていたが、廃城後は天守は破却されて土居が陣屋として存続した。城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出している。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。

現在、御土居跡は、吉香公園(きっこうこうえん)として整備され、横山山頂には再建天守がある。 (ウィキペディアより)   
(Size : 1,569KB) 
錦帯橋と岩国城を望む 岩国城、天守を望む
 



  
 (75) 山口県萩市 ”萩城” を訪れる (1)
 
 萩城  (はぎじょう)
 日本百名城 No.75
 山口県萩市
 (撮影 2013.04.28)
 萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にあった日本の城です。別名・指月城(しづきじょう)とも呼ばれています。
 萩城は指月山の山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されています。本丸の御殿は藩主居館と政庁を兼ねており、250年余りの間、長州藩(萩藩)の拠点でしたが、明治7年(1874年)前年に発布された廃城令により、櫓など他の建物と共に破却され、石垣や堀(水堀)のみが現存しています。

 現在は指月公園(しづきこうえん)として整備され、二の丸入口近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が現存し、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっています。   (ウィキペディアより)   
(Size :1,939KB) 
萩城(指月山)を望む 萩城、天守台を望む
 



  
 (75) 山口県萩市 ”萩城 詰丸” を訪れる (2)
 
 萩城 詰丸
 (はぎじょう つめまる)
 日本百名城 No.75
 山口県萩市
 (撮影 2013.04.28)
 萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にあった日本の城です。別名・指月城(しづきじょう)とも呼ばれています。

 萩城、詰丸は指月山の山頂に設けられた詰めの城です。城跡の案内板では「萩城要害跡」とも表記されています。石垣と土塀で囲まれた本格的な城郭で、東側の上段を本丸、西側の下段を二の丸として、石垣と塀で仕切られていた両者の間は棟門で繋がれていました。二の丸の南側に枡形虎口と櫓門による表門があり、本丸東側に裏門として埋門があります。   (ウィキペディアより)   
(Size :2,148KB) 
指月山山頂。詰丸、本丸・二の丸を望む 萩城、詰丸 ”要害門跡”を望む
 





  
  
  
  Home  Back  
  
Copyright (c) e-aruki All Right Reserved by Xinku Yingxing 無断転載禁止