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マチュピチュへの入口 ”オリャンタイタンボ” 案内 |
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【オリャンタイタンボの歴史】 |
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インカ帝国最後(15代)の皇帝である、マンコ・インカ・ユパンキがスペイン軍に対し、1536年5月に決起しクスコ、リマなどを圧倒的多数のインカ軍が包囲した。しかし、8月、インカ軍は食料が不足し、さらに作物の種まきをする必要があったため、クスコの包囲を解き、クスコ北方を流れるウルバンバ川近辺のオリャンタイタンボ砦に退却した。その後スペイン軍のエルナンド・ピサロはオリャンタイタンボ砦を攻撃したが、守りが堅いため、失敗に終わりクスコへ退却した。
その後、スペイン軍は再びオリャンタイタンボ砦を攻撃した。マンコ・インカ・ユパンキは結局、スペイン軍の500名の大軍の前に戦わずして、ウルバンバ川下流のビルカバンバへ撤退した。
スペイン支配下となったオリャンタイタンボは太陽神殿などの全てがスペイン人によって略奪され、現在は当時の姿をとどめていない。
(ウィキペディアより)
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■ オリャンタイタンボ駅改札を望む。この先はマチュピチュ行きの乗車券が無いと入場は出来ません ■ |
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インカ・レイルの乗車券です。氏名、パスポート番号まで記入されています |
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マチュピチュ行きの鉄道は、「インカ・レイル社」「ペルー・レイル社」「マチュピチュ・トレイン社」の「複数の民間鉄道会社」が乗り入れています。これは「マチュピチュ・トレイン社」の列車です |
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オリャンタイタンボの遺跡を望む(オリャンタイタンボ駅を出発し、10分程で遺跡が見えてきました) |
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聖なる谷、ウルバンバを望む(車窓より) |
ウルバンバの町にて、ウルバンバの看板です |
ウルバンバの町にて |
オリャンタイタンボにて(駅前のトイレです) |
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Google地図より |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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マチュピチュへ入るためには、「インカ道を歩く」または「鉄道で行く」、この二とおりの方法しかありません。ガイドとポーターを雇い、3泊4日でインカ道を歩く方法も有りますが、一般のツアーは当然鉄道で行きます。鉄道の出発基地(便数の多い)がオリャンタイタンボとなっています。
インカ帝国の首都、クスコからバスで1時間半、マチュピチュへの入口、オリャンタイタンボへ移動する。オリャンタイタンボは標高2,800m、この間標高3,000mの気持ち良い高原の中の移動でした。車窓からは普段見ることのできない、高原特有の空気の色、澄んだ景色と見晴らし、素晴らしい眺望でした。高原から聖なる谷、ウルバンバの町が眼下に見えた時の谷の広大さ、雄大さには驚かされました。これが”聖なる谷”といわれることへの納得できる風景でした。
ウルバンバからオリャンタイタンボまでは、ウルバンバ川、ペルー・レイルと平行してバスは進みます。車内でインカ・レイルの乗車券を見てビックリ、氏名はおろかパスポート番号まで記載されていました。
オリャンタイタンボでは、電車の乗り換え時間が短かったため、駅周辺の様子は分からないまま汽車に乗り、マチュピチュに向け出発しました。
オリャンタイタンボ、聖なる谷には、インカ時代の遺跡、生活が数多く残っているとのことです。再度訪れる時には、この地の観光をじっくりしたいと思いました。
(2015/7/13)
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車窓より、聖なる谷の向こうに見える山、聖なる山 ”アウサンガテ”です |
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オリャンタイタンボ駅にて、マチュピチュ行きの鉄道は、「ペルーレイル社」、「インカレイル社」、「マチュピチュトレイン社」の「複数の民間鉄道会社」が乗り入れています |
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