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マチュピチュ遺跡 主神殿〜インティワタナ 案内 |
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ハイラム・ビンガムの遺跡発見 (2/2) |
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(つづき)
”マチュ・ピチュ”とは間違えて付けられたという説があります。当時、遺跡には名前は決まっておらず、ビンガムが地元民に遺跡の名前を尋ねたところ、地元民は今立っている山の名前を聞かれたと思い、マチュ・ピチュと答えたことで遺跡の名前がマチュ・ピチュであると間違って伝わった、という説です。
ビンガムはイェール大学の教職を辞してからコネチカット州の副知事、知事を経て上院議員になりましたが、彼のインカ調査への影響力は死後40年近くも残っていました。それは1つに彼の情熱的な文章のせいであったとのことです。
最近になり、マチュ・ピチュはすでにペルー人が発見していたという説が浮上してきました。それによると、クスコの農場主アグスティン・リサラガが、ビンガムより9年早い1902年7月14日にマチュ・ピチュを発見していたという。真偽のほどは今後検証されるであろうが、ビンガムの息子がその事実を述べられているということ、またこの人物について複数の証言があることからも、事実である可能性は高いとのことです。
(ウィキペデアより)
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■ 聖なる広場にあります、”主神殿”を望む ■ |
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マチュピチュ遺跡、インティワタナ(日時計)を望む。インティワタナは最上部にあります。中央部の石垣は”主神殿”です |
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マチュピチュ遺跡、インティワタナ(日時計)より、パワーを頂いているところです |
【インティワタナとは】
「インティ」はインカ時代の公用語のケチュア語で「太陽」という意味です。「ワタナ」は「結ぶ」、「つなぐ」という意味とのことです。「インティ・ワタナ」とは「太陽をつなぎ止める石」といった意味になります。角柱の角は東西南北を向いていて、日時計として利用されたとのことです。 |
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”太陽の神殿”を上部から覗いてているところです |
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”市街地入口”の横にて |
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聖なる広場にて、遺跡の補修をしている所です |
聖なる広場にある、方位を示す石です
(左写真の下の石です) |
インティワタナにて |
マチュピチュ遺跡より、眼下の渓流を望む |
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Google地図より |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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マチュピチュ遺跡を”見張り小屋”から市街を眺め、石の文化の凄さを感じました。実際に市街地に入り、道路・建物・排水路などすべてが石で造られていました。積み上げられた石は思いのほか奥行きがあり頑丈に積み上げられていました。これでは地震が有っても崩れる事は無いと思いました。また、市街からマチュピチュ山・見晴らし小屋を見上げた時、すべてが石造りのこの町の凄さ、美しさを感じました。
この地、この限られた高台の中で人々はどういう生活をしていたのか、実際の建屋は人が生活するためにはどうなっていたのか、この街にはどんな色が有ったのか、興味は湧くばかりでした。現地を見ながら人々の生活、この街の様子を想像してみましたが自分の頭には何も浮かびませんでした。やはりマチュピチュは不思議な世界だと思いました。 (2015/8/5)
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マチュピチュ遺跡、石垣を望む。整然と積み上げされた石、見事な風景となっています |
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マチュピチュ遺跡、”見張り小屋”を望む
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マチュピチュ遺跡、対面の山の模倣石か(?)
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マチュピチュ遺跡を望む |
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