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[画像]  ペルー 世界複合遺産  マチュピチュ遺跡 (No.3)
  
  
  
  
  
  
  


 【マチュピチュへの道】
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マチュピチュ遺跡 (No.3)
 
 マチュピチュ遺跡
 世界複合遺産
 (1983年登録)
 ペルー共和国
 クスコ県
  (撮影 2015.06.06)
 マチュ・ピチュ(英語:Machu Picchu) は、アンデス山麓のペルー、ウルバンバ谷に沿った山の尾根ある15世紀のインカ帝国の遺跡です。標高2,430mにある遺跡です。

 当時のインカ帝国の首都はクスコで、標高3,400m。マチュ・ピチュより、千メートル程高い場所に首都がありました。アンデス文明は文字を持たないため、マチュピチュ遺跡が何のために作られたのか、首都との関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていません。
 1983年に複合遺産として世界遺産に登録されています。
                     (ウィキペディアより)
(Size : 3,541KB) 
マチュピチュ遺跡、アンデネスとワイナピチュを望む マチュピチュ遺跡、コンドル神殿にて
 


 マチュピチュ遺跡 ”石切り場”を望む
■ マチュピチュ遺跡、聖なる広場、石切り場、見張り小屋を望む ■
マチュピチュ遺跡、石切り場の様子です マチュピチュ遺跡、石切り場の奥ではリャマがエサを食べていました
  ※マチュピチュの石はすべてここから切り出され、使われているとのことです。石は花崗岩とのことです


マチュピチュ遺跡、アンデネス(段々畑)を望む
 


 マチュピチュ遺跡 ”ミニ植物園” にて
 

マチュピチュ遺跡

 マチュピチュ遺跡は、現在では要塞ではなく、
  ・東西が断崖で太陽の動きを知るのに絶好の場所であったこと
  ・インカ帝国では太陽を崇拝し、皇帝は太陽神の子として崇められ、暦を司っていたこと
から、インカ人が崇めていた太陽を観測するための建物群と推測されています。
 実際に太陽の神殿は東側の壁が2つ作られ、左の窓から日が差し込む時は冬至、右の窓から日が差し込む時は夏至と区別できるようになっています。

 処女たちを生贄にしたといわれてきた台座上の遺構は、太陽を観測するものであり、「インティワタナ(太陽をつなぐもの)」という意味となっています。石の台の削りだされた柱は、1種の日時計だったと考えられています。            (ウィキペヂアより)
        
                            
■ マチュピチュ遺跡、ミニ植物園で見つけたお花です ■
  ※ミニ植物園は、マチュピチュ周辺で見られる植物を集めて植えられているとのことです。
マチュピチュ遺跡、ミニ植物園で見つけた ”コカ”の木です。マチュピチュの標高では育たないコカの木ですか、インカ時代から品種改良され、育っているとのことです
マチュピチュ遺跡内を歩く(1) マチュピチュ遺跡内を歩く(2)
  
    


 マチュピチュ遺跡 ”農業試験場”、”聖なる岩” にて
 
■ マチュピチュ遺跡、農業試験場を望む ■
  ※農業試験場では、農作物の品種改良が行われていたとのことです。残されていた花粉を分析しとところ、多くの植物が栽培されていたことがわかっています。
    低地でしか育たないコカの木などがマチュピチュでも育つように品種改良されたとのことです。
       
マチュピチュ遺跡、”聖なる石” を望む。
この山形をした石の背後にこの形とよく似た山(ヤナンティン山)があるとのことです。うっすらと山は確認できましが良く見えませんでした
  
 
マチュピチュ遺跡、インティワタナからメイン広場へ向う途中にあります、巨大な岩です


 マチュピチュ ”コンドル神殿”にて
 
マチュピチュ遺跡、”コンドルの神殿”への降り口です。左側はコンドルの翼です
  ※コンドルの神殿は、地上の世界と天上の世界を結びつける神聖な場所だったとのことです
コンドルの宮殿にて ”コンドルの石” くちばしの部分がはっきりしています。
生け贄のリャマを捧げた儀式の石とのことです
 
マチュピチュ遺跡、”天体観測の石”
”3つの窓の神殿”を望む
  
     
■ 見事な石積みの景色です ■


 マチュピチュ遺跡 ”メイン広場”にて
 
マチュピチュ遺跡、メイン広場にて、リャマがポーズをとってくれました
  
  
マチュピチュ遺跡、リャマの行進です  
  
  
  
 ワイナピチュ山への登山 (残念ながら今回は登ることができませんでした)
ワイナピチュ山、登山口です。ワイナピチュへの登山は人数制限がされています。このため事前予約が必要です。
■ ワイナピチュ登山口より、ワイナピチュを望む ■
  
■ ワイナピチュ山、山頂部のズームアップです。アンデネス(段々畑)と登山者が確認できます ■
  
 


  ”マチュピチュ遺跡” 案内
 
【マチュピチュ 神をまつる神殿】 

 マチュピチュは、なぜこのような急峻な山の上に造ったかという質問に対し、ラファイエット単科大学のナイルズ(Dr.Niles of Lafayette College)は、「パチャクチがこの場所を選んだのは……圧倒する景色としか答えようがありません」と言う。
 イェール大学の近年の研究成果では、高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に最も適し、かつ宗教的理念として、太陽に近いところである、という点が場所選定の理由として挙げられています。

 インカの神は日本やエジプトと同じく太陽神のため、太陽により近い山の頂(いただき)は儀礼場として適当だった。 神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されている。そのようないきさつから、現在、マチュピチュは宗教都市として捉えられています。
 なおインカの人々にとっての神は、太陽とともに月も挙げられ、多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られています。マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、ワイナ・ピチュ(「若い峰」という意味で、マチュ・ピチュの背後にある尖った山)の裏手に、月の神殿が洞窟に作られています。        (ウィキペヂアより)

 
■ マチュピチュ遺跡、観光客がとおります ■
  
マチュピチュ遺跡、なかよしリャマ、夫婦かな? (メイン広場にて)
ワイラナにて、左は”聖なる石”です 記念写真の観光客、後方は”3つの窓の神殿”です
 
補修中のマチュピチュ遺跡(1) ワイナピチュ山の登山口です マチュピチュ遺跡にて 補修中のマチュピチュ遺跡(2)
     
  
 
Google地図より Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記   
 マチュピチュ遺跡を訪れることは、小学生時代からの夢でした。忘れ去られた空中都市、いつか行くことを夢見て学校の図書館で何度も何度も写真を見ていました。

 両側の切り立った急峻の山上の都市、見張り小屋から眺める空中に浮かぶ街並み、ワイナピチュ山を背景にした遺跡群は素晴らしい眺めでした。また市街から眺める急斜面に造られたアンデネス(段々畑)、アンデネスの幾何学的な美しさは長い歴史の力強さを感じさせてくれました。


 次回マチュピチュには来れるだろうか、来る機会が有るだろうかと心の中で反問しながら遺跡の出口へと向かいました。次回来る時にはマチュピチュ村からのハイキング道を遺跡まで登り、ワイナピチュ山に登り、最後はマチュピチュ山山頂からの眺望と遺跡を堪能したいと思いました。         
(2015/8/18)

 
マチュピチュ遺跡、出口付近(貯蔵庫)にて
 
さようならリャマ君
 
さようならマチュピチュ遺跡、出口(入口)方面、貯蔵庫へ進む
 


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